クラシック音楽の指揮者の当たり年と言われるのが1912年。
ギュンター・ヴァント
エーリヒ・ラインスドルフ
フェルディナント・ライトナー
セルジュ・チェリビダッケ
イーゴリ・マルケヴィチ
錚々たるメンツが誕生している。
例外は勿論あれど、19世紀生まれの指揮者たちの音楽は、今聴くとどことなく野暮ったさ、おぼこさ、ホームメイドっぽさを感じることが多い。
これ対し、「花の1912年組」の音楽は、透徹した厳しさ、規律、職人気質が感じられる。
また、ここ最近のオーケストラの響きは、良い意味で柔和さや自由なゆとりを感じさせることが多い。
対するに、1912年組の演奏は、神経質で張り詰めたような峻厳さを感じさせる。
ラインスドルフ/ボストン交響楽団
たしかに、ヴァントやチェリビダッケなどは、一見(一聴)すると悠大な印象を受けることがある。
しかし、同時にねちっこいまでに細かく神経質な印象も受ける。
ヴァント/北ドイツ放送響
↓ヴァントと同郷エルバーフェルト(現ヴッパータール)出身の先輩クナッパーツブッシュの演奏が、同じく悠大でありながら、融通無碍で大らかな印象なのと対照的だ(ちなみにヴァントはクナッパーツブッシュを嫌っていた)。
クナッパーツブッシュ/ミュンヘンフィル
楽員の自発性や楽団の伝統的な作法を重んじるウィーンフィルなど、ヴァントやチェリビダッケのことを、異様に細かくて押し付けがましい「最悪な指揮者」と思っていたことだろう。
実際、ヴァントはウィーンフィルとリハでの対立により喧嘩別れしているし、チェリビダッケもウィーン人の気質と音楽性をボロカスに貶している。まぁチェリビダッケの毒舌など平常運転なのだけど。
厳格なモダニストであった1912年組は、ことごとくウィーンフィルとは相性が悪かったんじゃないだろうか(山田一雄はそもそも共演したこともないと思うけど)。
例外はショルティくらいか。
ただ、独裁的なショルティとウィーンフィルの関係は必ずしも良好ではなかったようで、共演して残した演奏・録音の評価は賛否両論だ。
面白いのは、ウィーンフィルというオーケストラのスタンスが、なにも「厳しい指揮者は一切NG」というわけでもなかったということだ。
要は、彼らの自発性や流儀にも理解と敬意を示す指揮者を好んだということらしい。
カール・ベームのリハーサル映像など観てみると、ほとんど終始しかめっ面で(ごくたまに不気味な笑みを見せるが)、ネチネチ小言と嫌味を言い続けながら、ひたすら楽員をしごいている。
同じ「厳しい指揮者」でも、ベームがウィーンフィルから嫌われながらも尊敬を集めたのは、彼がウィーンフィルの伝統を理解・共有し、リスペクトしたからだろう。
ベームは19世紀生まれで、リヒャルト・シュトラウスやワルターと親交を持ち、ブラームスの親友マンディチェフスキに師事した。
その辺りの伝統との距離感が、武闘派モダニストの1912年組との違いなのだろうか。
ベームのリハーサル
チェリビダッケのリハーサル