そのあまりにも多岐にわたる複雑な論点の全てについて、明晰に理解・説明し、適切な解決案を導き出せる人は、おそらくこの地球上に皆無である。
最高裁判所大法廷の裁判官14人(本来は15人だが、 塩野宜慶裁判官は法務事務次官の経験があったことから審理には参加しなかったらしい)と最高裁調査官ら「スーパー頭脳エリート」達は、ああでもない、こうでもないともがき苦しみながら、議論を続けるも、議論すればするほど、しっちゃかめっちゃかの状態になってしまったと聞く。
上告から判決までの間に実に6年もの期間を要している。
当時の最高裁調査官であった木谷明によると、この訴訟が行き詰まったことにより、四畳半襖の下張事件を大法廷に回付することができなかったそうだ。
それほど本件の審理はめちゃくちゃに難航した。
で、最高裁が昭和56年に満を持して出した判決は、学会はもちろん世間からも非難轟々。
本件の苦しみと批判がよほどこたえたのか、しばらくの間、最高裁の大法廷回付件数は明らかに減少した。
本件の控訴審判決が出たのは昭和50年11月。
その前後にわたる最高裁大法廷判決の数と推移はこんな感じだ(私がデータベースでざっと確認する限り。間違いがあるかもしれない。)。
昭和47年:7件
昭和48年:8件
昭和49年:9件
昭和50年:3件(本件の控訴審判決が出た年)
昭和51年:5件
昭和52年:3件
昭和53年:3件
昭和54年:0件
昭和55年:1件
昭和56年:1件(本件の最高裁判決)
昭和57年:1件
昭和58年:4件
昭和59年:2件
昭和60年:3件
昭和61年:1件
昭和62年:2件
昭和63年:2件
平成01年:1件
平成02年:0件
平成03年:0件
平成04年:1件
「スーパー頭脳エリート」の集団であるにもかかわらず、愚かな意思決定をしてしまった事例の典型として、度々引き合いに出されるのは「ウォーターゲート事件」だ(その反対に、集団の意思決定の手法として非常に高く評価される例が「キューバ危機」)。
「大阪空港訴訟」も、「スーパー頭脳エリート」の集団によるアレな意思決定の事例の一つと言えるかもしれない。
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/227/054227_hanrei.pdf