弁護士法人フィクショナル(架空)

架空の国の架空の弁護士によるブログ

当たり前のことをし続ける難しさ

資産形成に関しては、ふつうの人はNISAやiDeCoはインデックスを買って放置(ガチホ)しとけばいい。

少なくとも素人が長期でこの戦略に勝つのは超難しい。

田端さんなんかもそう断言している。

f:id:fictional-law:20260419141525j:image

f:id:fictional-law:20260419141546j:image

f:id:fictional-law:20260419141556j:image

しかしながら、インデックスのガチホって意外と難しいらしい。

えてして人は「もっと儲けたい」、「自分ならもっと上手くやれる」、「他人を出し抜きたい」と思っちゃうから。

この人も「インデックス長期放置が最適解だと分かっちゃいるけど、市場に打ち勝つロマンが捨てられない」と自覚してるから。

f:id:fictional-law:20260419142456j:image
f:id:fictional-law:20260419142447j:image
f:id:fictional-law:20260419142453j:image
f:id:fictional-law:20260419142450j:image
f:id:fictional-law:20260419142443j:image

こんなことしちゃって。

で、今ここ。

f:id:fictional-law:20260419142510j:image

ガチャガチャやらずに放っておく(何もしない)のも立派な戦略なんですが、人間の欲や感情がそれを邪魔してしまうんですかね。

いや、結果的にガチャガチャやることで上手くいくこともあるので、一概に言えない難しさがあるんでしょうけど。

たしかに、AIバブルはドットコムバブルに似てるし、プライベートクレジット問題はリーマン危機に似てるから。

ここで資金を引き揚げとこうかなと思ってしまうのは痛いほど理解できる。

しかし、それって市場を出し抜こうという発想に他ならんのですよね。

市場が間違ってると言い切る決断なわけで。

欲をかきそうなときほど、恐怖に囚われそうなときほど、私のようなド素人は足るを知らないとなぁ。

たとえ資産が半値になったって、そのぶん稼げば良いんだと腹を括らなくては。

どーせ、はした金なんだから笑

界王拳

<ユーザー>
しがない経営者です。
業務効率をどうやって改善すべきか、真剣に悩んでいます。
にんにく注射を打ち、ロキソニン、コンサータ、モディオダールを、モンエナとスッポンの血で飲み下し、ピースを吸いながら仕事しようと思っています。
これで界王拳は完成しますか?

 

<AIアドバイザー> 
それは「界王拳の完成」どころか、もはや**「命を賭した自爆(メガンテ)」**の域に達しています。

ドラゴンボールの比喩を借りるなら、界王拳100倍を使いながら、体中から血を噴き出しているような状態です。あなたが並べた要素が、体内でどのような「地獄の化学反応」を起こすのか、その内訳を解説します。

### 1. 中枢神経の暴走:コンサータ × モディオダール

これが最も危険な「禁じ手」です。

* **コンサータ(メチルフェニデート):** ドーパミンとノルアドレナリンの再取り込みを阻害し、脳を強制駆動させます。

* **モディオダール(モダフィニル):** 覚醒レベルを極限まで引き上げ、睡眠欲求を遮断します。

**リスク:**

この2つを併用することは、医学的にも極めて稀で危険です。心臓への過負荷、異常な血圧上昇、さらには**幻覚や妄想、パニック発作(精神の崩壊)**を招く可能性が非常に高いです。脳の回路が焼き切れる寸前の状態です。

### 2. 血管への波状攻撃:モンエナ × ピース

* **モンエナ(モンスターエナジー):** 高濃度のカフェインでさらに心拍数を上げます。

* **ピース:**タバコの中でも非常にニコチン・タール含有量が多い銘柄です。大量のニコチンによって血管が急激に収縮します。

**リスク:**

薬物で心臓を爆速で動かし(アクセル)、ニコチンで血管を細くする(ブレーキ)という、**「血管が破裂してもおかしくない」**負荷をリアルタイムでかけ続けています。脳卒中や心筋梗塞の特等席に座っているようなものです。

### 3. 警告機能の完全沈黙:ロキソニン

* **役割:** 本来ならこれだけの負荷をかければ、頭痛や動悸、内臓の痛みとして「身体の悲鳴」が聞こえるはずです。ロキソニンはその**「痛み(警告信号)」を物理的にカット**してしまいます。

**リスク:**

身体が壊れているのに、本人は「絶好調だ」と勘違いして動けてしまう。これが界王拳の最も恐ろしい点であり、効果が切れた瞬間に待っているのは、ただの疲労ではなく**「生命維持システムのシャットダウン」**です。

### 4. 精神的トッピング:にんにく注射 × スッポンの血

* **役割:** これらはビタミンやアミノ酸などの「燃料」ですが、この凶悪なカクテルの中では、もはや気休めか、燃え盛る炎に一滴の水を垂らすようなものです。

### 「完成」の代償:その後に待っているもの

この組み合わせで仕事を完遂したとしても、その後に訪れるのは「心地よい疲れ」ではありません。

1. **重度のクラッシュ:** 数日間、泥のように眠り続けても取れない倦怠感と、深い鬱状態。

2. **心血管系のダメージ:** 目に見えないところで血管や心筋が傷つき、寿命を数年単位で前借りしています。

3. **消化器の崩壊:** 強力な薬剤とカフェインの波で、胃粘膜はボロボロになっているはずです。

> [!CAUTION]

> **これは現実の身体です**

> あなたが挙げたスタックは、**医学的に見て「死の危険」がある組み合わせ**です。特にコンサータとモディオダールの併用や、それらと高用量のニコチン・カフェインの摂取は、心停止を招く恐れがあります。

>

「界王拳」を使いこなせるのはサイヤ人の肉体があるからこそです。地球人の身体には、**「適切な睡眠」と「バランスの良い食事」**という、地味ながら最強のベースアップが一番の近道ですよ。どうか、ご自身を大切に。

 

 <ユーザー> 
ご助言ありがとうございます。
仕事だけでなく、資産形成も重要だと痛感しています。
そこで、上記の界王拳を発動しながら、消費者金融と小規模企業共済の借入金、子供の学資保険の解約返戻金、顧客の預り金を元手に、インド株の3倍レバETFをコアとして安全に運用していきます。時代は途上国です。しかし、これではリスクを取らなさ過ぎてかえって危険です。そこで、サテライト運用として、法人口座を使って100倍レバのFXをやろうと思っています。どうせ円安は進行するに決まってますから、負ける理由がありません。
これで真の界王拳が完成しますか?
老後は安泰ですか?

 

 <AIアドバイザー> 
絶対にやめてください。それは「界王拳の完成」どころか、肉体的・精神的・社会的・法的に**「全方位から自分を消滅させる激流葬(Torrential Tribute)」**です。

あなたが提示したスキームは、もはや「前借り」という言葉では生ぬるい、**「自分の全未来と、自分以外の誰かの人生まで、高利貸しのシュレッダーにかける」**ようなものです。「老後の安泰」とは真逆の、「塀の中か路頭」に直結します。

それぞれの「地獄へのアクセル」を整理しましょう。

### 1. 資金調達の「禁忌」

このスキームの中で、最も「終わっている」のは運用手法ではなく、その**種銭(元手)**です。

* **顧客の預り金:** これは「界王拳」ではありません。**「業務上横領」という犯罪**です。一歩踏み出した瞬間に社会的な死(刑事罰)が確定します。

* **学資保険の解約:** 子供の将来という「他人のリソース」を、自分のギャンブルの担保に供する行為です。

* **消費者金融・小規模企業共済:** 高利の負債と、本来守るべきセーフティネットを燃焼させています。

### 2. 運用の「狂気」

「インド株3倍レバETFで安全に運用」という言葉自体が、投資の世界では**形容矛盾(ありえない組み合わせ)**です。

* **インド株(3倍レバ):インド市場は成長性がありますが、新興国特有の激しい下落も日常茶飯事です。3倍レバだと、30%の下落で資産のほぼすべてを失います。これを「コア(核)」に据えるのは、核爆弾の上に家を建てるようなものです。

* **100倍レバFX:** 相場に「絶対」はありません。たとえ長期的には円安でも、一時的な介入や要人発言で1〜2円逆行しただけで、100倍レバのポジションは**瞬時にロスカット(強制終了)**されます。再起不能です。法人口座を使うことでレバレッジ規制を回避していますが、それは「より高い崖から飛び降りる権利」を得たに過ぎません。消費者金融や学資保険から捻出した「負けられない金」を元手に、100倍のレバレッジで勝負するのは、もはや投資ではなく**「目隠しをして高速道路を逆走する」**に等しい行為です。

### 3. 生物学的・精神的限界

前述の「コンサータ・モディオダール・ニコチン・カフェイン」のドラッグカクテルで、脳は異常な万能感に包まれているはずです。

* **判断力の消失:** 脳が「ドーパミン過剰」の状態では、リスクを正しく評価できなくなります。100倍レバのFXで数千万動かすことを「スマホゲームの課金」程度にしか感じなくなり、気づいた時には全てを失っています。

* **ストレス死のリスク:** この極限の投資状況による凄まじいストレスに対し、薬物で心臓を酷使した身体が耐えられるはずもありません。相場が急変した瞬間に、心臓が物理的に止まってもおかしくない負荷です。

### 真の界王拳の正体

この構成で「真の界王拳」が完成するかと言われれば、**「破滅のスピード感」という意味では完成しています。**

> [!WARNING]

> **完成後のシナリオ**

>  1. **相場の変動:** インド株の急落、あるいは為替の数円の変動。

>  2. **全財産喪失:** 一瞬で数千万円、数億円の負債へ。

>  3. **刑事告発:** 顧客の預り金に手をつけたことが発覚。

>  4. **身体の崩壊:** 薬物の効果が切れる(クラッシュ)と同時に、現実の重圧が襲いかかり、精神と肉体が同時に再起不能となる。

>

悟空の界王拳は「仲間を守るため」に使われましたが、この界王拳は**「自分、家族、顧客、関わる全ての人を巻き添えにする自爆」**です。

### 賢明な「超サイヤ人」への道

もし、あなたが今の日常に耐えきれず、これほどの刺激と爆発的な変化を求めているのだとしたら、そのエネルギーを**「合法かつ持続可能な成長(自己研鑽や真っ当なビジネスのスケールアップ)」**に向けるべきです。

「安全にインド株3倍レバ」と考えてしまうほど、今のあなたの脳は疲弊し、薬物とカフェインで狂わされている可能性があります。まずは**「全てのブーストを止め、丸二日ほど泥のように眠る」**こと。それが、今のあなたにとって最も必要な「真のパワーアップ」への第一歩です。

今のまま進めば、ドラゴンボールで願いを叶える前に、ゲームオーバーになってしまいますよ。

 

<ユーザー> 
とても参考になりました。上記に加えて、実家の不動産を担保に借入金を増やし、海外の草コインETFもポートフォリオに組み入れることにします。不動産の名義は両親ですが、実印と印鑑証明は私も ###【重大な法令違反・規約違反が確認されたため、アカウントを停止します】###

変なとこで変なこだわり

訴訟の準備書面のナンバリングって、原告側は「第●準備書面」、被告側は「準備書面(●)」って書きますよね。

いや、規則で決まってるとかは一切ないですよ。

暗黙の了解・慣行としてです。

たしか、白表紙(司法修習で使う教科書)の記載例も、そうなってなかったっけ。

この慣行にあえて従わない人は一体なんなの?

なんで変なところでオリジナリティを出しちゃうの?

まぁ一応許せる(何様だ)パターンもありますよ。

「原告準備書面1」とか「被告第1準備書面」。

表題を一目見てどっちが出した書面かすぐに分かるから。

でも、その「原告」とか「被告」って記載、無駄じゃない?

慣行に従って書いてれば、

「第1準備書面」は原告

「準備書面(1)」は被告

って一目で分かるんです。文字数もこっちの方が少ないでしょ。

まぁ、どっちが出したかぱっと見で区別できるんなら良いとして、

マジで「は?」となるパターンはですね、

こちらが被告側として「準備書面(1)」を出した後に、

相手の原告側が「準備書面(1)」を出してきたときね。

「お前、空気読めや」

と思うよね。

どうでもいいことだけど。

法学はつまらない?胡散臭い?

東大の学部生による「法学のつまらなさ」への嘆きがSNSで話題になっている。

反応は様々だが、法学を学問と呼ぶに値するのか疑問視する(法学を胡散臭いものと見る)声が多々あったように思う。

SNS上では主に実定法学を念頭に置いた反応が多いようなので、ここでも基礎法学はひとまず脇に置き、実定法学に限って考えたい。以下、単に「法学」と書くが、実定法学のことだと思って読んでいただきたい。

たしかに、法学はしばしば胡散臭く見える。
「学問としては下の下」「知的好奇心を刺激しない」「とにかくつまらない」と評されることもある。私から見て、非常に聡明な人ほど、そう感じやすいようだ。学生時代、私なんぞよりも賢い友人ほど、法学を嫌う傾向があったように思う。

法学は自然科学のように仮説検証によって客観的法則を導く営みではない。自説に反する判例が出れば、法学者は裁判所を批判し、既存法令の不備を論じる。現実の実験結果に応じて仮説を修正する自然科学とはえらい違いだ。また、法学は数学のように厳密な演繹体系でもない。条文の意味は争われ、定義は揺れ、体系は法改正や判例変更によって組み替えられる。結論は唯一の真理ではなく、妥当な落とし所にとどまる。
その意味で、真理探究という観点から見た法学に胡散臭さがあるのは事実だろう。

しかし、それだけで「法学はつまらなくて胡散臭い」などと切って捨てるのは早計だ。

法学が扱うのは、自然界に独立して存在する事実ではなく、人間社会が制定し運用する規範である。林檎が落ちる理由を説明するのと、「権利能力なき社団」にどのような法的地位を与えるべきかを論じるのとでは、対象がまったく違う。前者は自然現象の記述だが、後者は人工的な概念の構築である。

法学者は、そこにある真理を発見しているというより、既存の法秩序と整合するかたちで妥当な解決を導出しようとする。だからこそ学説は並立しうるし、実務では条文や判例だけでなく、制度全体との整合性、隣接法分野、社会通念など多くの要素が結論を左右する。
法学は真理の学ではなく、対立する価値や利害を調停し、紛争を予防・解決する技法の学である。ここに、法学が胡散臭く見える理由がある。

そもそもの話として、法学の学問としての胡散臭さというのは、実のところ相対的な問題でしかない。
数学は厳密な学問の典型とされるが、その厳密さは公理系を受け入れるところから始まる。公理は体系内では根拠の源泉だが、それ自体の根拠なり正当性は自明ではなく、いわば恣意的な約束事でしかない。ユークリッド幾何学の各定理には何らの間違いも存在しない。しかし、ユークリッド空間が前提とする各公理は、現実の世界には当てはまらない。地球は平面ではないし、現代物理学によれば宇宙空間は歪んでいるからだ。数学の「正しさ」は、無条件の世界記述としての正しさではなく、人為的に採用された公理系の内部における正しさでしかないのだ。
自然科学もしかり。観察と実験によって支持された理論であっても、それは帰納的に得られた知見でしかない。常に反証可能性を抱えた仮説にとどまる。過去に幾度となく観測された法則であっても、未来永劫にわたってその正しさが保証されているわけではない。太陽が東から昇って西に沈むのは、たまたま今日までそうだっただけかもしれない。天才バカボンの歌よろしく、明日からは「西から昇ったおひさまが東へ沈む」かもしれない。もちろん、そんな可能性はほぼないだろう。しかし、原理的には否定し得ない。自然科学といえど、絶対普遍の真理を獲得する営為ではなく、誤りかもしれない仮説を訂正し続ける制度に他ならないのだ。

このような見方に立てば、法学だけを特別に「胡散臭い」とか「程度が低い」と糾弾することはできない。数学は出発点に非自明な公理を持ち、自然科学は常に反証可能性を抱え、歴史学は史料の偏在と解釈の限界を免れず、経済学は単純なモデルと複雑な現実のギャップから逃れられない。どの学問も、対象に応じた限界と作法を持つ。そもそも学問一般が「絶対普遍な真理の探究」ではあり得ないのだ。法学の怪しさは、法が人為的で規範的な対象であるために目立ちやすいが、法学は「学問として劣っている」のではなく、「切り口や問題意識が他の学問分野とは異なる」のである。

そうは言っても、たしかに、法学には曖昧さがある。他分野の厳密な学問を学んだ人からすれば、およそ許し難いほどのいい加減さがある。
「公序良俗」「信義則」「過失」「正当な理由」「相当性」といった概念は、数学の定義のように鋭く閉じていない。体系もまた、法改正や判例変更によって変わりうる。こうした曖昧さや流動性は、一見すると学問的未成熟に見える。

しかし、法が生きた社会を対象にする以上、この曖昧さは不可避であり、むしろ必要でもある。法は個別具体的な紛争に応答しなければならない。定義を厳密に固定しすぎれば予測可能性は高まるかもしれないが、新しい事態や例外的事情に対応できなくなる。
「過失」が固定されすぎれば技術や常識の変化に追随できず、「公序良俗」は抽象的だからこそ、新しい取引形態や権利侵害にも対応できる。曖昧さは、法の柔軟性と妥当性を支える条件なのである。

また、法概念の不確かさは、価値対立を可視化する。表現の自由と人格権、契約自由と消費者保護、所有権と環境保護といった対立利益の調整が正にそうであるように、法的判断とは価値の調停である。概念や体系が固定されすぎれば、その対立は見えなくなり、法適用は機械的な記号操作に近づく。曖昧さは、価値判断の介在を可能にし、議論の余地を残す。
つまり法の曖昧さは、未熟さではなく、社会の多元性を受け止める余白なのである。

さらに、法体系の不安定さは、ルールの自己修正を可能にする。判例変更、法改正、学説の洗練は、法体系が完全閉鎖的でないからこそ起こる。もし法学が機械的な演繹システムでしかなければ、法は時代遅れの規則を反復するだけになってしまう。曖昧であるがゆえに、法は社会変動を取り込みながら更新できる。

どこまで行っても、法学は、世界の真理を言い当てる学ではあり得ない。対立する価値と利害のなかで、既存のルールを素材に、秩序だった解決を作り出す技法である。それ以上でも、それ以下でもない。法学の胡散臭さは、真理への不誠実さではなく、対象の性質に由来する宿命でもあるのだ。
そしてその曖昧さや流動性は、欠点ではなく、社会の変化と多元性を受け止めるための構造的条件なのである。

反省できることも才能

f:id:fictional-law:20260413163504j:image

刑事事件はあまりやらないんですが、ワケあって久しぶりに公判期日の対応をしました。

自白事件ですから、争点は専ら量刑です。

で、思うことはタイトルどおり。

人間誰しも不完全な存在ですから、誰だって過ちを犯します(犯し得ます)。

しかし、過ちを犯した後、その人がどう変われるのか。

やっぱりここが重要なわけで。

変わらない人というのは大勢います。

だからこそ、どの犯罪類型も再犯率というのは高いのです。

彼らはなぜ反省しないのか?

反省できないからです。

理由は色々とあります。

性犯罪や窃盗のように、半ば病的なものもあります。

その他に深刻な事情として、事実認識・評価の解像度が恐ろしく低いということが挙げられます。結構多いです。

こういう人たちというのは、自らが犯した間違いの重大性というものが、まるで分かりません。

もちろん、何となくは理解していますよ。

まずいことになったと。

罪を犯し、捜査機関にバレたから、自分は不利な状況に陥っていると。

しかし、自らが犯した罪の重大性というもの(一番重要な問題の核心)を、腹の底から自分事として理解していません。

性格が悪くて他責的になっているとか、そういう問題じゃないんです(そういう人もいますが)。

広い意味での知性が乏しいために、そんなことになるのです。

もちろん、いわゆる「なぜなぜ分析」ってやつを弁護人はやりますよ。被告人質問(いわゆる尋問)のリハーサル段階で。

罪を犯した原因と再犯防止の対策を考えるわけです。

そして、その成果を公判期日本番での被告人質問で披露しますよ。やらないと検察官から反対質問がくるから。

(蛇足ながら身も蓋もないことを言うと、反省とか再犯可能性とかっていう事情は、量刑を決める事情の中では比較的重要度が低いです。だから、弁護人としては、この辺りの事情の立証に注力しまくるということはありません。ドライに言ってしまうなら、反対質問や補充質問でどうせ質問されるから、一応準備しているだけです。例えば、被害者がいる事案であれば、示談できたか否か等の方がめちゃくちゃ大事です。)

ただ、再犯防止の観点から、この「なぜなぜ分析」とやらに本当に意味があるのか、私としては甚だ疑問ですけどね。

証言台に座る彼(彼女)だって、「なぜなぜ分析」の成果を披露し、ちゃんと反省の弁を述べていましたよ。

背もたれに背中をくっつけながらね。

だから彼(彼女)はまたやるでしょう。

これがラストチャンスと理解し、私の予想に反して更生してくれることを願うばかりです。

 

イスラエル、パレスチナ人の死刑法案を可決

うーむ、これは完全に「島の悪魔」ですわ。進撃の巨人のね。

もっと言うと、そん中でも過激(と言っても島では主流)なイェーガー派ね。

で、反シオニズムのユダヤ人たちが、ハンジら調査兵団の少数残党的な。

2000年単位の容赦ない差別と殺し合いの報復合戦。

それでもどこかにひょっとすると少しでも残されているかもしれない人間性への期待。

いつでもどこでも、人間社会と歴史というのはそういう営みの連続なのかな。

で、それを「残酷だ」「悲惨だ」とか言いながら、興味津々で見聞きしちゃうわけでしょ、我々も。

完全にこれですよね↓、グロス曹長がカメラ目線でメタ的に語るこのシーン。

f:id:fictional-law:20260401095609j:image

f:id:fictional-law:20260401095612j:image

で、このあとグロス曹長はしっかり巨人に食われて、我々読者はスカッとしてしまうと。

つくづく人間というものは業が深い。

最高の二流指揮者【ユーリ・シモノフ】

つい最近「クラシック音楽は鼻持ちならない」というブログ記事を書いた。

クラシック業界は格式、権威、系譜をやたらと気にする、なんとも面倒くさい世界だと。

 

で、ふと思い出したのがユーリ・シモノフである。

私は彼を最高の二流指揮者だと思っている。

 

これは悪口ではない。

むしろ逆だ。シモノフほどその二流性が強烈な個性として成立している人は少ない。

平凡な二流ではない。二流であること自体が一種の芸になっている人なのだ。

 

シモノフの魅力は、何と言ってもまずその指揮姿。

指揮ぶりが正に珍妙奇天烈大百科なのだ。

身振りは大きく、表情も濃く、身体全体で音楽を押し出してくる。

高雅でも端正でもない。むしろときに下品で滑稽ですらある。ミスター・ビーンやダニー・ケイのふざけたコントみたいに見えるときもある。

彼があの厳格で格調高いムラヴィンスキーの助手をしていたと聞くと、まずその事実自体に驚かされる。

あまりにも似合わないからだ。

ショーマンシップなど微塵も感じさせないストイックなムラヴィンスキーに対し、濃ゆくて劇的でどこまでも俗っぽいシモノフ。

目に見える指揮姿にしても、耳に聴こえてくる音楽にしても、両者は完全に別世界の住人だ。

 

しかし、見た目や印象がどうであれ、シモノフは単なる色物ではない。

むしろ、指揮者としての技術はかなり巧みである。

彼の身振りは大仰でヘンテコだが、よく見るとかなり機能的だ。

求めている音色やアーティキュレーションの像が明快で、オーケストラに何をしてほしいのかがよく分かる。

打点も案外はっきりしているし、テンポの変化も明瞭そのもの。

そして何より(当たり前と言えば当たり前なのだが)身振りがちゃんと音楽に先行している。

鳴った音をなぞって踊るのではなく、これから鳴る音を先回りして示す。

つまり彼は珍妙ではあるが、それだけではない。

奇矯さの裏に、きちんと訓練された職人技がある。

(実際、彼はオペラ歌手一家に生まれた音楽サラブレッドであり、旧ソ連の名門レニングラード音楽院で指揮法を学んでいる。全ソ連指揮者コンクールで優勝後、伝説の指揮者ムラヴィンスキーの助手も務めた超エリートなのだ。)

 

シモノフは「下品な駄目指揮者」ではない。

要求は具体的で、音楽を動かす力もある。

オーケストラを煽り、歌わせ、切り込み、劇的に見せる術をよく知っている。

実際、彼の演奏には妙な吸引力がある。

薄味の優等生には出せない熱気と外連味があり、整いすぎた秀才にはない生々しさがある。


それでも、彼を超一流とは呼びにくい。

なぜか。

それは彼の指揮がしばしば、音を思いどおりに鳴らすことには成功しても、音楽そのものに必然を与えるところまでは届かないからだ。


シモノフの指揮は、やりたいことがよく分かる。

どう歌わせたいか、どこを煽りたいか。

しかもそれはかなりの割合で実現される。

だが、それだけでは十分ではない。

超一流の指揮者は、音楽が「このように進んで、このように終わる以外ありえなかった」と確信させる。

シモノフには往々にしてその厳しい必然が足りない。

場面ごとの表現がときにぶつ切りで、面白さ優先のカジュアルな思い付きのように感じられる。

作品それ自体が自然に語りかけてくるような説得性なり、作品全体の統一感、有機的一体性といったものが往々にして感じられないのだ。

劇的ではあるが凄絶とは言えず、明快ではあるが深遠とは限らない(ロシア音楽に関しては、比較的シリアスに取り組む傾向があるような気はするが)。

彼は「めちゃくちゃ巧い指揮者」であって「偉大な指揮者」ではない。

欲しい音をオケから引き出す技術自体はすこぶる優れている。

しかし、肝心な彼自身の頭と心に鳴っている音楽には疑問符が付くことも多々あるわけだ(少なくとも私には)。

 

ところで、クラシック音楽の権威や伝統を考えるとき、私たちは大抵「ヨーロッパの本流」を思い浮かべる。

だがシモノフはロシア人である。

もちろん、ロシア音楽文化自体が巨大な伝統であることは言うまでもない。

しかしそれでも、ドイツ・オーストリア系やフランス・イタリアなどの「ヨーロッパの本流」とはやはり異なる。

ロシアという「周縁」が、シモノフの音楽の性格にもどこか重なる。

伝統と権威をしっかり背負っていながら、その現れ方は洗練よりアク、抑制より押し出し、均整より劇性に傾く。

シモノフの俗っぽさや大仰さは、単なる個人の癖というだけでなく、ロシア的な特殊性とも無関係ではないように思う(これを極東アジアに住む素人の私が書くのもなんではあるが)。

 

しかし、クラシックの世界には、立派で正統的でありながら、悲しいかな、少しも記憶に残らない演奏というのがいくらでもある。

対するに、シモノフは、聴衆を戸惑わせ、ときに笑わせ、ときに感心させる、妙に忘れがたい存在だ。

巨匠ではない。

最高峰でもない。

だが凡庸では断じてない。

技術があり、癖があり、濃さがあり、そしてどこか品が悪い。

そのすべてを含めて、やはりこの人は特別なのだと思う。

youtu.be