最近なぜかこの曲がしょっちゅう勝手に脳内再生されて困っている。
この曲をリアルで耳にしたことなど、25年くらいは絶無のはずなのに。
YouTubeにこの曲があるのも、今ネット検索して初めて知った。
まだ音有りで再生していないので、25年くらい聴いてない記録は今も更新中だ。
マジでなんで?!
人間の脳とか思い出ってフシギダネ(激寒)。
最近なぜかこの曲がしょっちゅう勝手に脳内再生されて困っている。
この曲をリアルで耳にしたことなど、25年くらいは絶無のはずなのに。
YouTubeにこの曲があるのも、今ネット検索して初めて知った。
まだ音有りで再生していないので、25年くらい聴いてない記録は今も更新中だ。
マジでなんで?!
人間の脳とか思い出ってフシギダネ(激寒)。
[夢の商品ゴルプラ&ゴルナス]
最近の投資界隈では「ゴルプラ」「ゴルナス」がかなり目立っていた(いる)。
正式名称はTracers S&P500ゴールドプラス(こっちがゴルプラ)とTracers NASDAQ100ゴールドプラス(こっちがゴルナス)。1本で「米国株100%+金100%」、つまり純資産総額の200%相当の投資を目指す設計である。実現手段としては、現物株に加えて株価指数先物や金先物を活用する。運用会社の資料でも、これらは先物取引を積極活用する非NISAの分散型レバレッジファンドとして位置づけられている。ゴルナスは2025年1月24日に設定され、2026年2月26日時点で純資産総額2,000億円を突破した。ゴルプラも2025年12月22日時点で純資産総額1,000億円を突破した人気商品だ。
https://www.amova-am.com/files/lists/news/2024/news1225_01.pdf
一見すると、この設計はかなり魅力的だ。S&P500やNASDAQ100の成長力に乗りながら、金も同時に組み込める。しかも、単純な株式2倍型ではなく、株と金という異なる値動きの資産を組み合わせて200%相当の投資を行うため、レバレッジ商品の中では分散を意識した商品として受け止められやすかった。実際、運用会社も「株だけを200%にするのではなく、株100%+金100%」という点を前面に出していた。
https://www.amova-am.com/sp/tracers/sp500gold
2025年のパフォーマンスも、この人気を後押しした。ゴルプラは2026年2月末時点で1年トータルリターンが+105.83%となっており、2025年もかなり強い印象を残した。ゴルナスは2025年1月設定のため「暦年で丸1年」の比較はまだ難しいが、2026年2月時点で1年トータルリターン113.39%というデータが確認でき、設定後しばらく非常に派手な値動きで注目を集めた。
https://fund.monex.co.jp/detail/02315228
[中東情勢の悪化で改めて見えた怖さ]
しかし、相場が荒れ始めると、こうした商品の厳しさもはっきり表に出る。
2026年3月には、イスラエルとイランを巡る中東情勢の悪化で世界的な株安が進み、原油は急騰した。3月19日には、エネルギー供給不安を背景に株式市場では投資家心理が急速に冷え込んだ。しかもこの局面では、通常はリスク回避先とみなされやすい金まで下落し、「株と金を組み合わせれば常に安定する」という期待がそのまま通用しない場面も生じた。ロイターも3月初旬の局面について、株・債券・金がいずれも下落したと報じている。
https://www.reuters.com/business/energy/global-markets-wrapup-1-2026-03-19/
こういう局面で何が起きるか。レバレッジ商品は、上昇局面では非常に目立ちやすい一方、下落局面では損失の大きさも目立ちやすい。単なる「株と金の組み合わせ」ではなく、先物を使って200%相当を持つ構造である以上、相場が逆風になったときの振れ幅はどうしても大きくなる。
現時点ではまだ調整程度のレベルだが、中東情勢のグダグダが続けば無事では済まない。
[そもそも先物取引とは何か]
ゴルプラやゴルナスの根幹にある先物取引について。
先物取引は怪しいマネーゲームとして生まれたものではない。江戸時代の大阪・堂島米会所が世界初の組織的な先物取引市場とされている。1730年に幕府公認の市場として整備された。その本来の役割は価格発見とリスクヘッジにあった。米の生産者や流通業者が、将来の価格変動に振り回され過ぎないための仕組みである。
https://www.odex.co.jp/about/derivative/index.html
https://www.maff.go.jp/j/council/seisaku/syokuryo/0506/pdf/ref_data5.pdf
現代でも、原油、金、穀物、株価指数などで先物が使われるのは、将来価格を織り込みながら取引し、ヘッジや価格発見を行うためである。投機だけが本質ではない。
[先物取引のレバレッジ効果]
先物取引においては証拠金というものが用いられる。この証拠金には強烈な特徴がある。レバレッジ効果だ。証拠金を差し入れることで、それより大きな金額の取引ができる。ゴルプラやゴルナスは、この仕組みを投資信託の中で活用することで、「1本で株100%+金100%」という状態を作っている。
https://www.rakuten-sec.co.jp/web/fund/detail/?ID=JP90C000NS46
先物取引において主流の差金決済という方法について、極めて単純な例を考えてみる。
例えば、100万円を元手(証拠金)として、先物価格200万円の金を購入するケースだ(日々の値洗いがどうとか手数料がどうとか細かいことはこの際すべて無視する)。
約束した決済日に金価格が220万円(10%上昇)になっていたとする。その場合、差金決済においては、金先物の購入者が20万円を受け取るのであって、金そのものの授受は行われない。購入者は金をもらわない代わりに、代金200万円も支払わなくてよい。約束した金額との差額である20万円を受け取るだけだ。証拠金100万円も戻ってくる。
その反対に、金価格が180万円(10%下落)になっていた場合には、金先物の購入者は証拠金から20万円を支払うのみで、やはり金そのものの授受は行われない。残った証拠金80万円は購入者の手元に戻る。
同じケースにおいて、100万円を元手に金現物を購入していた場合、金価格が10%上昇すれば利益は10万円だけであり、他方、10%下落した場合の損失も10万円にとどまる。
このように、先物取引においては、利益も損失も大きくなる(ハイリスク・ハイリターン)。これが先物取引のレバレッジ効果だ。
https://www.jpx.co.jp/ose-toshijuku/column/futures_option/futures/01.html
https://www.amova-am.com/sp/tracers/nasdaqgold
[レバレッジは魔法の杖ではない]
証拠金という概念を知ると、レバレッジはまるで魔法の杖のように見える。少ない元手で大きなエクスポージャーを取れるからである。だが、えてしてどんなものでもそうであるように、良いものには副作用がある。
最大の問題は、下落からの回復が難しくなることである。
例えば、現物資産が10%下落したとする。100万円が90万円になる。元に戻るには、90万円が100万円になればよいので、必要な上昇率は約11.1%である。
ところが、同じ値動きを2倍で受けるレバレッジ商品なら、20%下落して100万円が80万円になる。ここから元の100万円に戻るには、80万円が100万円にならなければならない。必要な上昇率は25%である。
この差は見た目以上に重い。相場は下がったあと必ず一直線で戻るわけではない。上がって、下がって、また上がる。そういう往復を繰り返す中で、レバレッジ商品は値動きの荒さゆえに複利効果が減退しやすい。JPXも、中長期では原指標との乖離が大きくなり得ること、上昇と下落を相互に繰り返す相場ではパフォーマンスが逓減していく特性があることを明記している。大和アセットも、2営業日以上離れた比較では、原指数の約2倍にならない点に注意が必要だとしている。
https://www.jpx.co.jp/equities/products/etfs/risk/04.html
https://www.daiwa-am.co.jp/special/leveraged_inverse/
[長期では副作用が強い]
レバレッジ商品は長期で現物ホールドに負けることがある。殊に相場が荒く往復する局面では珍しいことではない。
金融庁はレバレッジ型ETF等を主に短期売買で利益を得ることを目的とした商品だと説明しており、米SECも1日を超える期間では想定と大きく異なる成果になり得ると警告している。もちろん、強い上昇トレンドが長く続けばレバレッジ型が勝つことはある。しかし、基本的には長期になればなるほど、長くリスクにさらされる分、不利になりやすい。前述した下落時のダメージの大きさに加え、信託報酬等の保有コストがかさみがちであること等がその理由だ。ちなみに、ゴルプラやゴルナスの場合には問題にならないが、先物取引においては、含み損が大きくなると、納めた証拠金では足りず、追証(おいしょう、追加証拠金)が必要になることもある。期日までに支払えなければ強制決済となり、損失が確定してしまう(繰り返しになるが、ゴルプラやゴルナスの場合は追証の問題は生じない。はず。)
https://www.fsa.go.jp/user/20210630_levETF2.pdf
[どういう人に向いているのか]
レバレッジ商品が向いている人はかなり限られる。基本的には、短期決戦の人である。そのうえで、相場の方向感をある程度読める人、あるいは読めるつもりでなくても損切りルールを機械的に守れる人である。さらに、含み損を見ても平常心を維持できること、想定が外れたらすぐ撤退できることが必要になる。
https://www.fsa.go.jp/user/20210630_levETF2.pdf
逆に、向いていない人ははっきりしている。老後資産を積み立てたい人。相場を毎日見たくない人。下がると不安になって積立を止めてしまう人。そうした人にとっては、ゴルプラやゴルナスのような商品は、仕組みを理解したつもりでも、実際の下落局面で想像以上に扱いが難しい。金融庁も、投資経験があまりない個人投資家が資産形成目的でこれらの商品に投資する際には、仕組みやリスク、コストを十分理解する必要があると注意喚起している。
https://www.fsa.go.jp/user/20210630_levETF2.pdf
[結論:素人は「地味な併用」でいい……が]
ゴルプラやゴルナスは、たしかに魅惑的な商品である。2025年に強いリターンを見せたこともあって、人気化した理由はよく分かる。だが、それはあくまで先物を活用したレバレッジ商品であり、平時は頼もしく見えても、相場が崩れたときには振れ幅が大きく、回復条件も厳しくなる。2026年3月以降の不安定な市場環境は、その現実を改めて見せつけた。
https://fund.monex.co.jp/detail/02315228
https://www.reuters.com/business/energy/global-markets-wrapup-1-2026-03-19/
だからこそ、素人は大人しく、低コストのインデックスを主力にして、純金積立か金ETFを添える。これでよい。というより、これがよい。
投資で大事なのは、高い利回りを目指すことではない。長く持ち続けられること、理解できること、途中で壊れない設計であること。その意味で、インデックスと金の現物併用は、退屈に見えて実はかなり合理的な選択と考えられる。
ただ、胆力のある勝負師には全く異なる景色が見えているかもしれない。
コロナショックの2020年3月、米国大幅利上げショックの2022年10月、関税ショックの2025年4月、いずれもごく短期間で株価は回復しており、この時期にレバをかけて仕込みまくった人はとてつもなく儲けている。
さて、今回はどうなることやら。
金が暴落した。
「有事の金」とは何だったのか笑
(※追記:イランが戦費調達のために売ってるのかもしれないとか何とか)
昔のような安全資産枠ではなく、ボラはデカいし、株との相関係数も低くはない。
もはや教科書的なセオリーは通用しない模様。
しかし、長期的には上昇を見込む意見が主流だし、純金積立ならリタイア後の税制メリットも大きい。リスク分散の観点からも、ある程度は持っていて良いのではと考えている。
半年以上は買い増しせずに放置&静観していたのだが、ポートフォリオの10%を切ったので買い増しを再開。
まとまった金額でのスポット買いしかしたことがなかったのだが、ちまちま積み立てていくことにした。
基本的にフルポジなので、デカい売上げがぽんと入ってこない限り、一気に買い増しはできないのだ。
ビットコは一年以上買い増ししていないが、カスみたいな値動きをしているようで、もうほとんどチェックしていない。一生買い増すこともないだろう。20年後までグッバイ。
オルカンの積立てはしばらくお休みして、TOPIXを積み増ししている。しばらくはね。
いやぁブレとるなぁ。ブレまくっとるなぁ。
ちょっと前のブログ記事にブレちゃいかんと書いときながら、恥ずかしいくらいにブレっブレですわ。
今年10月、ヘルシンキ・フィルが25年ぶりの来日公演を行う。
ソリストは今をときめく角野隼斗(かてぃん)。
かてぃんファンである母に誘われ、私も聴きに行くことになった。
そう、主催者が公演の詳細をX上で発表した際、炎上したあれだ。
炎上の要点はこうだ。
・投稿されたチラシには指揮者の名前が書かれておらず、他方、角野氏の名前が大きく書かれており、指揮者に失礼ではないか(※指揮を務めるサラステは評価の高い実力者であり、クラシックファンの間での知名度は高い)
・チケット代が高いのは、「客寄せパンダ」である角野氏の起用が理由ではないか。
さらにはこんな批判の声も上がった。
・角野氏のファンは、他の共演者やオケに興味がなく、マナーも悪い。
・角野氏は「正統のクラシックではない」、「由緒あるオケのソリストに相応しくない」
こうした炎上や批判を受け、角野氏もコメントを発表する事態となった。
思いがけず本公演を聴きに行くことになったので、今更ながら私の思うところを色々と書いておきたい。
クラシック音楽は、言ってしまえば伝統芸能の一種だ。
だからこそ、伝統的な教育機関と無縁だったり、権威ある師弟関係の系譜に属していない人の演奏を、果たしてクラシックの演奏と呼んでよいのだろうか——そんな疑問が頭をよぎることもある。
もっとも、その演奏によって生まれた音楽がクラシックと呼べるかどうかと、それを聴いて良いと思えるかどうかは、必ずしも関係がない。
正統派な演奏だがいまいち刺さらないとか、その反対に、異端なスタイルの演奏だが猛烈に心惹かれてしまうということは、たしかにある。
そう考えると、演奏が伝統に根ざしているか、演奏者が権威ある師匠の弟子だったかどうかなどは、聴衆の立場からすれば気にしなくてもよい問題なのかもしれない。
実際、かつての私はそう思っていた。
伝統に沿っているか、正統派かどうか、ましてや権威がどうこうなど、どうでもよいことだと。
しかし、今では少し違う考えを持っている。
私たちはベートーヴェン(作曲家)を聴きたいのであって、彼(作曲家)を差し置いた演奏家の自己主張を聴きたいわけではない。
もし自己主張にこだわるのなら、それはオリジナル曲でやればいい。
他人の褌で勝負するのであれば、せめて作曲家に敬意を払うべきだろう。
つまり、作品を現代まで奏でながら引き継いできた伝統を踏まえたうえで、今も演奏するべきではないか。
それこそが、現代においてあえてクラシック音楽を演奏し、そして聴く意義なのではないかと。
しかし、ここには大きな問題がある。
クラシック音楽における「伝統」というものは、実に厄介なのだ。
例えば、指揮者のフルトヴェングラーもラトルも、いずれもアカデミックな背景を持ち、伝統を尊重しているはずの音楽家だ。
それなのに、彼らが演奏するベートーヴェンの「運命」は、驚くほど似ても似つかない。
そんな演奏をいざ聴いてしまうと、果たして伝統などというものは、本当に存在するのだろうかとさえ思えてくる。
そもそも、19世紀までのクラシック音楽という文化そのものが、即興や楽譜の改変を前提としていた面もある。
演奏スタイルは常に時代の流行を反映しながら変化してきた。
クラシック音楽の伝統は、そうした変化をも織り込んでいる(変化自体が伝統でもある)。
だからこそ、新しいスタイルが登場すると、それが従来の伝統を塗り替え、新たな権威になることもある。
トスカニーニしかり、アーノンクールしかりだ。
※トスカニーニは、19世紀流の恣意的なルバートや楽譜の無視・改変に異議を唱えたパイオニアとして知られている(実際には彼自身もそうしたことをしてしまっていたのだが)。
また、アーノンクールは、歴史的考証に基づく演奏によって「作曲当時の伝統」の現代的再現を目指した。今まで育まれてきた伝統(作曲当時とは異なる演奏スタイルや慣習)に待ったをかけたわけだ。
ここまで考えると「それならもう、各自が好きなように演奏すればいいではないか」という結論に至りそうだ。
だが、実際のクラシック音楽の世界では、どうもそうは考えられていない。
おそらく業界全体に「いや、そうではない」という強い信念が共有されている。
なぜか。
たとえ最終的に出来上がる音楽が演奏家ごとに大きく違っていたとしても、そこに至るまでにどれだけ伝統と向き合ってきたか——どれだけ伝統を学び、修練してきたか——という過程そのものに意味があると考えられているからだ。
そうした過程を経た演奏には、「私はこう弾きたい」という単なる思いつきを超えた、ある種の凄みや説得力が生まれる。
少なくとも、多くの人がそう考え、信じているようなのだ。
もっとも、ここまで来ると「伝統に根ざした演奏」というものは、ほとんど神学論争のような話になってくる。
演奏を聴いただけで、その演奏家が伝統に敬意を払っているかどうかなど、果たして分かるものだろうか。
演奏家(同業者)はまだ良い。
作曲家や作品を研究し、鍛錬を積む立場として、見えること・分かることが多いだろう。
「なるほどそういう解釈もあるか」と。
あるいは「これは作曲家への冒涜だ」と。
しかし、聴衆の側はどうか。
作品の原典、自筆譜や歴史書などを紐解きながら、あらゆる時代の演奏音源を聴き漁るような熱心なマニアばかりではない。というか、そんな聴衆は極めて少数だろう。
ほとんどがはっきり言ってズブの素人だ(私もそうだ)。
そんな聴衆が「伝統と真摯に向き合った結果として生まれた異形の演奏」と「無手勝流で感情の赴くまま好き勝手に弾いた演奏」を果たして区別できるのだろうか。
甚だ心許ない。
だからこそなのだろう。
クラシックの演奏家たちは、自分の学歴やコンクール入賞歴、師弟関係の系譜を細かくプロフィールに書きたがる。
そして聴衆の側も、それを気にする。
音だけでは、その演奏家が伝統に対してどれほど誠実に向き合ってきたのか分からないからだ。
プロフィールは、いわば演奏家を信頼するための保証書のようなものなのだ。
ここまで考えると、結論はある意味で単純だ。
そう、クラシック音楽とは、やはり格式ばっていて、権威主義的で、この上なく鼻持ちならないジャンルなのである。
だから、そういうものが嫌いな人は、無理に聴く必要はない。
クラシック音楽と無縁であっても、幸せな人生を送っている人(そして生涯を終えた人)はたぶん星の数ほどもいるだろう。
しかし一方で、クラシック音楽は、この世界の誰かにとってどうしても必要なものでもある。
演奏家が食っていくためではない。
まして金になるからではない。
むしろクラシック音楽はほとんどの場合大した金にならない。
経済的には極めて非効率な所業だ。
それでもなお存在し続けるのは、一体なぜなのか。
それは、ある瞬間に、それまで抱いていた世界観を根底からひっくり返してしまうような、そんな激烈な出会いが確かに存在するからだ。
バッハしかり、マーラーしかり。
そしてそれは、演奏されて正に初めて体験されるものでもある。
作品として残された楽譜は、それ自体としては紙の上に書かれた抽象的な概念でしかない。
現実の音としてこの世に生み出されて初めて体験されるものなのだ。
そのためには、作曲家が表現しようとした思いを、世界を、誰かが引き継ぎ、絶やさず、後世に伝えていかなくてはならない。
それこそが、クラシック音楽の一つの真実の姿なのだ。
だからこそ、クラシック音楽を演奏する者は、聴く者は、その伝統と否応なしに向き合わざるを得ない。
ああ、本当に。なんてタチの悪いジャンルなのだろう。
ネルソンスがボストンのポストを降りるらしい。
こんなこと書かれちゃってる。
Andris Nelsons’s abrupt departure from the Boston Symphony Orchestra shouldn’t be surprising to those who have witnessed his artistic decline.
「彼の芸術的衰退を目の当たりにした人々にとって驚くべきことではありません」ってかなり辛辣な評価だ。
あれもこれもとワーカホリックに仕事をバリバリこなすのって、やっぱ良くないのかも。
たとえどんなに才能のある人であっても。
ネルソンスと同郷の師匠ヤンソンスも、バイエルンとコンセルトヘボウと掛け持ちで多忙にしてたでしょ。で、若い頃の新鮮な感じがなくなり、円熟(?)の境地とやらで、無難な凡演を乱発しながらちょっと早く亡くなってしまった。
バレンボイムとか史上稀に見る才能に任せて、頭おかしいんじゃないかってくらい多忙に働いてたでしょ。ピアノも指揮も。今はほぼ引退に近い状態だけど。
リハを十分にやれてないとか批判されたりしましたけど、才能が異常ですから、殆ど予習時間もないなかで、新ウィーン楽派の超複雑なオペラとかワーグナーの超長時間のオペラやなんか、音符から歌詞から全てあっという間に完全暗譜で指揮しちゃう。で、その翌日に、ピアニストとしてのコンサートも暗譜でプログラム全てをバリバリ弾きこなすとかね。
才能は歴代最強クラスかもしれんけど、じゃあ指揮者やピアニストとして彼のことが一番好きだという人が、一体どのくらいいるのか。
ゲルギエフもそうだ。凄まじい快演を見せることだってたしかにありますけどね。でもやっぱ働きすぎ。日中にオペラを振った後、ヘリで移動して同日夜のコンサートをこなすとかね。この人も明らかにリハ不足なグズグズの演奏を聴かせたりしてました。YouTubeにもそんなのが上がってます。ウクライナ戦争後はヨーロッパのポストを完全に干されたので、今はどうだか知りませんがね。今年久しぶりに来日する方向で調整してるそうですけど、どうなるんでしょうね。
そういえば、かつては世界で最も多忙な指揮者といえばゲルギエフでした。統計をとってるサイトがあったと思います。ゲルギエフがヨーロッパで干されて以降、ネルソンスが最も多忙な指揮者とされていました。で、結局冒頭の記事の状態になっちゃったわけですよ。
才能あふれる天才達にしてこういう問題を抱えているんですから。
いわんや一般ピーポーをや。
己の才覚をわきまえて、ちゃんと寝て、一件ずつ丁寧にこなさないとあかんね。
ワイの知ったかだったらマジで恥ずかしいんだけどさ。
っていうか今さら「報・連・相」がどうのこうのっていうのを話題にすること自体、ちょっと恥ずかしいんだけどさ。
「連絡」と「報告」って、皆が好き勝手に定義して無理やり区別してるだけだよね?
ビジネス書とかネットのページとかそれらしいこと書いてるけどさ。
人によって言ってることちげぇし。
辞書的な定義からは確たる違いを導き出せないよね?
とりあえず「ちゃんと根回しせぇ」ってことで一括りにしちゃって良くない?
我々の業界では、「報告書」という表題の書面を求められている場面では「報告書」を出して、それ以外の場面ではとりあえず「ご連絡」などと題することが多いような。
いやマジで何のオチもない話なんだけどさ。
ワテはやってませんがね。
青年会議所(JC)の活動をやってる(やってた)同業者たちを見てると、「ワテは入んなくて良かったわ」としか思えまへん。
まだ会員になっていない者も、会員の招待?勧誘?により、例会や懇親会に出席することが可能で、私も何度かお邪魔したことがありました。
親切な人もいますし、私から見て個人的に尊敬できる人もいました。
それでも、キャリアの初期時点で頑なに入会拒否しておいて良かったと思う。いやほんと。
JCに加入している同業者たちを見てきて、話を聞いて、その内容を総括すると以下のとおり。
・「とりあえず入会する」だけでは全く無意味。
かなり入れ込んで活動しないと、全く案件化しないし、顧問も増えない。
・JCの人々は仲間と認めた人間にしか仕事を振らない。
仲間とは「コミュニティ(仲間)のために滅私奉公できる人」のこと。
JC活動は、地域への貢献を通じて、仕事能力や根性、共感力、コミュ力を披露しつつ、会員同士の連帯を深める場になっている。
仕事を振って良い人間かどうか、シビアに評価されている。
・活動に入れ込むと、本業とプライベートの時間がかなり犠牲になる。JC仲間と付き合いで下品な店に行ったことがバレて家庭崩壊する者も。
・いざ仕事が増えても良いことづくめではない。
体育会系の縦社会が悪い意味で機能している面がある。
筋の悪いクソ案件を振られても、仲間からの頼みなので断りづらい。
ノリの下品な輩が多く、顧問として抱えてもメンテがダルい。トラブル多発。
友達割、先輩割を事実上強いられる場合も多々あり。
・JCから流入した仕事だけで食えている弁護士というのは、少なくともワテの知る範囲では皆無。
ざっとこんな感じですね。
まぁJC活動を一度もしたことのない、全くの部外者による総括ですけどね。
もちろん、JC当事者の方から見て「それは違う!」という部分もあるやもしれません。
ただ、周りの弁護士を見て、話を聞いたうえで、上記のとおり総括せざるを得んのですよ。
やらしい話、彼らの売上げなども知ったうえで書いてますから。
良いことももちろんあるみたいですよ。
なんか色々言ってました。
それもここに書いた方がフェアなんでしょうけど、他ならぬ私自身が興味ないし、書くのも面倒なので書きませんが。なんかぴんとこなかったし。
まぁあれですよ、古き佳き昭和体育会系のノリについていけない陰キャがチラシの裏に書いてるだけですから。
その程度に割り引いて読んでください。
実際、私にはまるで理解できませんが、JC活動を辞めずに継続してる(継続しきって無事卒業した)弁護士って結構多いので、コスパでは測れない良さもいっぱいあるのかもしれません。