1950年代だと私なら断言する。
この時代は西洋音楽(クラシック音楽とポピュラー音楽双方)が爛熟の果てに「超新星爆発」を起こしたとでもいうべき時期である。
極端な話、これ以降の登場人物・出来事は、この大爆発の余波であり、音楽史上の位置付けとしては注釈に過ぎないとすら感じられる。
さらに大袈裟・大きな視点でいえば、「西洋」とか「歴史」という物の見方が通用する最後の時代だともいえる。
クラシック音楽の創作においては、ブーレーズやケージらに代表される最後の偉人達の台頭。
演奏史においては、19世紀来の伝統を受け継いできた大巨匠達(フルトヴェングラーやトスカニーニら)の歴史的名演・引退・逝去と、新たな世代のカリスマ達(カラヤンやバーンスタインら)の台頭、アーノンクールら革新的勢力の登場が重なる。また、本格的なステレオ録音ビジネスの勃興(ウォルター・レッグやジョン・カルショーら名プロデューサーの活躍)と、名曲・名盤の聴き比べブームが加熱し始める時期でもあった。
この時代は、西洋音楽のメインストリームが、クラシック音楽からポピュラー音楽に切り替わる大転換点でもある。
ジャズ界・ロック界隆盛の嚆矢となるレジェンド達の登場・台頭、劇伴音楽界を牽引する未来の大スター達の業界入り等々。
仮に、その後の音楽史を知らない人が、1950年代の一連の「事件」を眺めてみたならば、西洋音楽の将来は前途洋々たるスペクタクルに満ちたものと期待することだろう。
しかしながら、果たして実際はそうではなかった。
今やクラシック音楽の創作・演奏・録音はもちろんのこと、ポピュラー音楽においても、画期的・革新的な出来事などなく、平坦・平穏に推移して久しい。
クラシック音楽界においては、影響力という点でブーレーズやケージらに比肩し得る作曲家は出てきていない。
名曲・名盤のレパートリーも大方出尽くしており、ネタ枯れの感は否めない。演奏家個々人に目を向けてみても、カラヤン、バーンスタイン、グールドといった綺羅星のごときカリスマ達や、アーノンクールのような傑出した革命家はついぞ現れなかったと言ってよい。
ジャズ界においても、デイヴィス、エヴァンス、コルトレーンらに匹敵する大物など出てきていない。
また、百花繚乱のロックシーン(ひいてはポピュラー音楽の一ジャンルとしての「ポップ・ミュージック」全般)についても、全てクオリーメン(後のビートルズ)の支流に過ぎないとの見切り方も可能だ。
劇伴音楽界においては、佳作こそ生まれ続けているものの、モリコーネ、バカラック、マンシーニ、ジョン・ウィリアムズ 、ゴールドスミスら1950年代にキャリアをスタートさせた世代に伍する作曲家は、現今皆無である。
しかし、こうした状況自体は何も殊更悲観すべきことではない。
歴史の大部分において、音楽文化は平坦・平穏であり続けた。有史以来「西洋音楽史」という語り口が通用した時代・地域性こそが、むしろ例外(欧米の一部地域におけるせいぜい400年程度の話)なのである。
あれやこれやと画期的・革新的な事件が起きること自体、むしろ異質・異常だったといえる。
今や我々は、歴史的・地域的文脈に囚われず、実に多様な音楽にアクセスできるが、その代償として、皆が共有する「大きな物語」を失ってしまったのかもしれない。
以下に1950年〜1959年に起こった「事件」を並べてみた(同一年内の「事件」の並びは順不同)。この10年がいかに異常な時代か、お分かりいただけることと思う。
・1950年
・メシアンの「音価と強度のモード」初演(戦後のクラシック音楽創作に多大な影響を及ぼした問題作の発表)。
・武満徹が「2つのレント」で楽壇デビュー(クラシック音楽界で最も大きな影響力を誇った東洋人作曲家のデビュー)。
・ジョージ・マーティンがEMI入社(後の「5人目のビートルズ」と称される人物のキャリア開始)。
・1951年
・ケージが「易の音楽」を作曲(「偶然性の音楽」を創始)。
・シェーンベルク死去(前衛派と実験派の源流の逝去。19世紀ロマン主義と20世紀現代音楽を繋ぐ大作曲家の死)。
・メンゲルベルク死去(19世紀流の極めてロマン主義的な演奏法・伝統を受け継いだ大指揮者の死)。
・フルトヴェングラーによる「バイロイトの第九」(歴史的・記念碑的な名曲・名盤の誕生)。
・クナッパーツブッシュがバイロイト音楽祭への登壇を開始(史上最高のワーグナー指揮者による伝説的なライブの数々)。
・新バイロイト様式の登場・台頭(戦後オペラ演出史の大きな転換点)。
・1952年
・ブーレーズの「ストリクチュール第1巻」初演(総音列技法の記念碑的作品の発表)。
・ケージの「4分33秒」初演(「音楽」の定義の再考を迫る衝撃的な事件)。
※ブーレーズの作品は、作曲家による音の各パラメータの徹底した管理・統制を目指したものである。他方、ケージの作品は、音を作曲家による管理・統制から、あえて一部自由にするという試みであった。以後、ヨーロッパ前衛VSアメリカ実験主義の対立が顕在化していくことになる。
・1953年
・チャック・ベリーの活動開始(ロックミュージックの先駆者のキャリア開始)。
・レイ・チャールズが初のシングルリリース(R&Bの神様の駆け出し)。
・東側では、スターリンと同日にプロコフィエフが死去。同年、スターリン時代を総括したかのようなショスタコーヴィチの自伝的作品「交響曲第10番」が初演される。
・1954年
・クレメンス・クラウス死去(ウィーンの伝統を体現した指揮者の死。ウィーン市民はみな悲しんでクラウスのために半旗を掲げたと伝えられる)。
・フルトヴェングラー死去(19世紀ドイツの演奏様式の正統にして最後の継承者の死)。
・トスカニーニが引退(後進に多大な影響を与えた新即物主義のパイオニア・筆頭格の引退)。
・ビル・エヴァンスの活動開始。
・マイルス・デイヴィスが「ウォーキン」を制作。
・1955年
・ブーレーズの「主なき槌」初演(前衛音楽の最高傑作とも評される作品の発表)。
・クセナキスの「メタスタシス」初演(ポストセリーの記念碑的作品の発表)。
・ピアソラがブエノスアイレス八重奏団を結成(タンゴ革命の始まり)。
・エルヴィス・プレスリーのフロリダ州のコンサートで最初の暴動が発生。
・1956年
・ストラヴィンスキーの「カンティクム・サクルム」初演(新古典主義VS音列主義の対立の歴史が、発展的解決により終止符を打たれる)。
・シュトックハウゼンが「少年の歌」を制作(電子音楽とミュージック・コンクレートの統合)。
・E.クライバー死去(戦前ウィーン生まれの最後の大指揮者の死。なお、この少し前には、息子であり、後に伝説的な指揮者となるC.クライバーのキャリアがスタートしている)。
・グールドがバッハのゴールドベルク変奏曲(当時としてはマニアックな選曲)でアルバムデビューを果たし、クラシック音楽では異例の全米チャート1位を獲得。
・プレスリーが初のTV出演。
・1957年
・シベリウスが死去(後期ロマン派最後の巨匠が長い沈黙を保ったまま死去。交響曲第8番の発表は幻に)。
・ブーレーズが論文「骰子(アレア)」を発表し「管理された偶然性」を提唱(前衛派VS実験派のアウフヘーベンの契機)。
・プレスリーが「監獄ロック」をリリース(ロックの記念碑的作品の発表)。
・ビートルズの前身となるクオリーメンが結成される(ポップ・ミュージックシーンにおける伝説の始まり)。
・ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスが活動開始(クラシック音楽演奏における時代考証革命の始まり)。
・コルトレーンがアルバムリリースを開始。
・1958年
・前衛音楽創作のメッカであるダルムシュタット夏季現代音楽講習会における「ケージ・ショック」(アメリカ実験主義がヨーロッパ前衛音楽シーンに強烈な影響を及ぼす契機)。
・ショルティ/ウィーンフィルによる「指環」の全曲ステレオ録音プロジェクト開始。
・バーンスタインがアメリカ生まれの指揮者として史上初めてメジャーオーケストラ(ニューヨークフィル)の音楽監督に就任。
・1959年
・小澤征爾がブザンソン国際指揮者コンクールに日本人として初めて出場し、優勝。
・ピアソラがアディオス・ノニーノを作曲。
・レイ・チャールズが「ホワッド・アイ・セイ」をリリース。
・補遺(劇伴音楽界等)
エンニオ・モリコーネ、バート・バカラック、ヘンリー・マンシーニ、ジョン・ウィリアムズ 、ジェリー・ゴールドスミスらが劇伴音楽界等でのキャリアをスタートさせたのは、いずれも1950年代である。それまでの時代であれば、クラシック音楽のジャンルで活躍したであろう逸材が、劇伴等の商業音楽を専門にするようになっていったのも、まさに時代の潮流であったといえる。