「日本のクラシック音楽界はドイツ音楽の影響が濃厚」と指摘されることが多い。
明治維新以降、西欧列強に追いつけ・追い越せを目指した日本。
西欧文化も、娯楽ではなく、勉強のために輸入された節がある。
クラシック音楽も「役に立たない娯楽」ではなく「高尚な教養」として輸入されたようだ。
特にお手本とされたのは厳格なドイツ音楽。
「君が代」を国歌として編曲したエッケルトもドイツ人だった(木に竹を接いだようなアレンジの問題については、また気が向いた時にでも書くかも)。
未だにクラシックが「真面目でお堅い音楽」と捉えられがちなのは、明治以降の伝統なのかもしれない。
ただ、作曲家に目を向けると、また違う印象を受ける。
戦前のハイソな日本人の間では、フランス文化が大流行したらしい。
実際、戦前生まれの日本人作曲家の多くが、ドイツ音楽ではなくフランス音楽の影響下にある。
池内友次郎、松平頼則、伊福部昭、矢代秋雄、三善晃、武満徹、黛敏郎、松村禎三、冨田勲・・・皆フランス系だ。
ドイツ系の作風の日本人作曲家は・・・ちょっと思いつかない(※)。
瀧廉太郎とか山田耕筰とか、上記よりもさらに古い19世紀生まれの人くらいか。
(※後日追記
諸井三郎の弟子に、入野義朗、柴田南雄、戸田邦雄という、いずれも東大卒のエリート三人衆がいる。
この三人衆が規範としたのはドイツ音楽だったらしい。
三人衆の作品を一つも知らない私は全く知らなかった。勉強になった。
知らなかったことの言い訳みたいになるが、やっぱりフランス系の邦人作曲家の方が、知名度も影響力も遥かに大きかったのかもしれない。)
しかし、 今やフランスも文化的な国とは言えないのかもしれない。
今年のパリ五輪は「史上最悪」などと評され、人種差別やら誤審やら様々な問題が浮き彫りになったようだ。
まぁ昔から「パリ症候群」なんて言葉もあるように、今に始まったことでもないか。
それでも尚、フランス音楽はやはり魅力的だ。
ラジオやテレビから流れる音楽を耳にして、「何だこの曲は?!」と一目惚れ(一聴惚れ?)することがある。
極めて稀だ。
しかし、たしかにそういうことがある。
私にとってフランシス・プーランクがそういう作曲家だ。
フランソワ・クープランと名前が似てるが、時代も異なる全くの別人。
この人の音楽には、腕白な悪童と敬虔な信徒が同居している。
そのお洒落な音楽は、いかにもパリっ子の象徴という感じがする。私はパリなんか一回も行ったことないけど。
ラヴェルと比べると、旋律は息が短く硬質で、より古典的な感じがする。
他方で、ストラヴィンスキーなどの影響も感じられる点では、ラヴェルよりモダンな印象も受ける。
「20世紀にモーツァルトが生きていたらこんな音楽を書いただろう」とか
「メロディを書いた最後のクラシック作曲家」などと評されるらしい。
私が一聴惚れしたのは、以下の二作品。
緩徐楽章の淡々としたセンスが粋だ。
ベタベタと感傷的にならない。
2台のピアノのための協奏曲(1932年)
この曲も素晴らしい。
スターバト・マーテル(1950年)