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クラシック音楽の二刀流【オペラと交響曲】

・オペラと交響曲の起源
オペラの発祥は16世紀末頃のイタリア。
古代ギリシャの演劇を復興しようという動きが始まり。
楽譜が現存する最古のオペラは「エウリディーチェ」(1600年初演)。
始祖的存在として重要な作曲家はモンテヴェルディだ。
彼の「オルフェオ」(1607年初演)は現在でも比較的頻繁に上演される演目である。

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他方、交響曲はオペラから分離して独自に発展したジャンルだ。
17世紀のイタリアオペラにおいて、序曲に当たる部分は「シンフォニア」と呼ばれていた。
G.B.サンマルティーがこの「シンフォニア」のみを独立させ、演奏会用に演奏したのが、交響曲の起源とされる。
ナクソスのデータベースによると、作曲年が判明している内もっとも古いものが交響曲 ヘ長調 J-C 38(1742年)なので、交響曲第1番 ハ長調 J-C 7はこれよりも古いと考えられる。

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そんなわけで、オペラと交響曲は130~140歳ほど年の離れた親子あるいは兄弟のような関係といえる。

しかし、親兄弟といえど、その性格は全くもって対照的だ。

 

・オペラと交響曲の特徴
オペラは、文学、演劇、美術との結びつきが強い総合芸術。
制作・上演にあたっては、作曲家や演奏家以外に、他分野にわたる数多の共同作業者との協力が不可欠だ。
今日における映画産業よろしく、大人数と多額の予算を動員する一大プロジェクトである。
比較的エンタメ色が強く、イタリアを中心に発展したジャンルであり、「歌」が命だ。

他方、交響曲は、基本は絶対音楽・純粋器楽だ。
つまり、原則として、歌のない管弦楽作品であり、文学的なタイトル(標題)もつかない。
言葉や物語とは隔絶された「音楽の音楽による音楽のための音楽」である。
大人数による共同作業で制作するオペラと比較すると、「作曲家一人の思い描く心象世界」という側面が強い。
お堅い「ゲイジュツ」としてドイツを中心に発展したジャンルであり、「構造」が命だ。

 

クラシック音楽の二大花形ジャンルへ
ベートーヴェン以前(古典派の時代)、クラシック音楽の花形(≒儲かるジャンル)は圧倒的にオペラである。
交響曲はさほど重要視されていなかった。
少々大袈裟に言えば、交響曲はオペラを売り込むため、自身の作曲能力を知らしめるため、コンサートで披露する「宣材作品」のようなものであった(だから古典派の時代にはオペラを作りつつ交響曲を量産した作曲家が多かった)。

ベートーヴェン以後(古典派の終盤以降)、交響曲は単なる「宣材作品」から作曲家の魂を込めた「芸術作品」としての性格を強めていくことになる。
「使い捨て」のごとく何十曲も量産するのではなく、「不滅の名作」たらしめるべく、何か月も(ときには何年も)かけ推敲に推敲を重ねて創作するジャンルとなった。

かくして、19世紀に入る頃、オペラと交響曲クラシック音楽の二大花形ジャンルとなり、大作曲家達が数多の名作を残すようになった(ただし、相変わらずお金になるのは交響曲ではなくオペラだったので、多くの作曲家達がオペラ作家として成功することを夢見た)。

 

・オペラ作家と交響曲作家
面白いことに、両方のジャンルに超ヒット作を残した人というのは極めて稀である。

オペラ作家としては、ウェーバーマイアベーアロッシーニドニゼッティワーグナーヴェルディビゼーフンパーディンクプッチーニリヒャルト・シュトラウス等が挙げられる。

他方、交響曲作家としては、ベートーヴェンシューベルトメンデルスゾーンシューマンブラームスブルックナーマーラーシベリウスカール・ニールセンヴォーン・ウィリアムズ等が挙げられる。

どちらのグループに属する作曲家も、「オペラ作家」か「交響曲作家」のどちらかであって、両方を兼ねる人は皆無と言って良い。

交響曲作家のベートーヴェンは、改訂に次ぐ改訂を重ねた難産の末に、ようやく「フィデリオ」一作を残している。
他方、オペラ作家のリヒャルト・シュトラウスは、交響曲2作の評価が振るわず、その後は標題的・交響詩的な家庭交響曲アルプス交響曲を残すにとどめている。

 

・元祖にして最大の「二刀流」作家
オペラと交響曲の「二刀流」作家(両分野で歴史に残る超ヒット作を複数生み出した)と文句なしに言えるのは、壮大な音楽史の中でモーツァルトただ一人だけだ。

劇的・文学的・分野横断的側面の強いオペラ。
知的・論理的・純粋芸術的側面の強い交響曲

このように対照的な(両極の矛盾した)性格を持った芸術分野の「作家性」が、一人の人間に宿るというのは、それほどまでに困難なことらしい。
その意味で、両分野で歴史に残る超ヒット作を複数生み出したモーツァルトという人は、実に不気味というか恐ろしい存在だ。
あらゆる相反する性格・要素・芸術性が、モーツァルトという一人の人間の中に、矛盾なく(あるいは矛盾したまま、矛盾さえもあるがままの形で)存在したということに他ならないなのだから。

フィガロの結婚

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交響曲第40番」

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交響曲第41番」

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19世紀後半の「二刀流」作家

19世紀後半に活躍した人だと、チャイコフスキー(「エフゲニー・オネーギン」、「スペードの女王」、交響曲第4番~第6番)、ドヴォルザーク(「ルサルカ」、交響曲第8番、第9番)あたりが「二刀流」というべきか。

この二人の共通点は、オペラ・交響曲の本場であるイタリア・ドイツ以外の生まれ(本場に対するコンプレックスを抱えつつ、本場の伝統に縛られない自由な感性を持った国民楽派)であること、古典志向、天才的メロディメーカーということだろう。

ただし、真に「二刀流」というべきモーツァルトと異なり、一般的には彼らを「交響曲作家」とすることはあっても、「オペラ作家」と評する人は少ないだろう。

もう一人重要なのがフランスのサン=サーンスだ(「サムソンとデリラ」、交響曲第3番)。
チャイコフスキードヴォルザークと同じく、彼もイタリア・ドイツ以外の生まれであり、古典志向、天才的メロディメーカーという特質を持っていた。
サン=サーンスは、オペラと交響曲にとどまらず、多くのジャンルでヒット作を残すばかりか、詩や戯曲等の音楽以外の分野でも才能を発揮した「異能」の人だ。
ポテンシャルだけで言えば、ひょっとするとモーツァルト級の天才なのかもしれない(しかし、時代のせいなのか、はたまた彼(やその作品)の性格のせいなのか、サン=サーンスはどこか軽く見られているところがある。未だに正当な評価がなされていると言えるか疑問のある人でもある。)。

 

・20世紀前半の「二刀流」作家
20世紀に入ると、音楽史の潮目・様子が少し変わってくる。
交響曲もオペラも、音楽文化の花形としての地位に翳りが見え始める。
シェーンベルク(「モーゼとアロン」、「期待」、室内交響曲第1番、第2番)やストラヴィンスキー(「夜鳴きうぐいす」、「エディプス王」、「放蕩者のなりゆき」、詩篇交響曲交響曲ハ調、三楽章の交響曲)が両分野に力作を残したと言われても・・・?
彼らが残したオペラも交響曲も、19世紀までのそれとは異なり、王道路線を外れたかなり「ニッチ」な作品群だ。
残念ながら、ただでさえ数少ないクラシックファンの中でも、これらの作品を全て聴いたことのある人というのは極めて少数だと思われる。

東側(旧ソ連)はまたちょっとばかり特殊だ。
東側(旧ソ連)の「二刀流」作家としては、ショスタコーヴィチ(「鼻」、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」、交響曲第5番、第7番等)、プロコフィエフ(「戦争と平和」、交響曲第1番、第5番等)が挙げられる。
彼らが活動したのはスターリン体制下であり、「社会主義リアリズム」が奨励(強制)された時代だ。
20世紀にありながら「伝統的ジャンルで昔ながらの語法」に基づいた力作を残すことが奨励(強制)されたという背景がある。
芸術家達からすれば「生き地獄」とでもいうべき状況のもと、綺羅星のごとき名作群が生み出されたというのは何とも皮肉な話である。

 

・20世紀後半の「二刀流」作家
従来的な意味での傑作の臨界点は、オペラならばベルクの「ルル」(1935年に未完のまま作曲者死去)、交響曲ならばメシアントゥーランガリラ交響曲(1948年)だろう。
これ以後、オペラも交響曲も「賞味期限」は切れてしまった。
1950年代以降の前衛の時代に入ると、オペラも交響曲もかつて誇った隆盛はどこへやら。
前衛の時代をしぶとく生き抜き、「二刀流」で頑張ってきたのは、ドイツ人作曲家のヘンツェ(「孤独通り」、「イギリスの猫」や三島由紀夫原作の「裏切られた海」他多数、交響曲は10作)くらいだ。殆どの人は名前すら知らないだろう。
彼こそは、先達から引き継いだ伝統が消えてしまわないよう、何とか時代と折り合いをつけながら生き残った才人である。

その後、オペラと交響曲が少しずつ復活するには、1970年代以降の前衛の衰退と、1980年代以降の従来語法の復興を待たざるを得なかった。
この時代以降の「二刀流」代表格はジョン・クーリッジ・アダムズ(「中国のニクソン」、「原爆博士」、室内交響曲等)だ。

しかし、時すでに遅し。
その頃、もはや音楽史・音楽文化の中心はクラシックにはなかった。
かつてオペラや交響曲が果たした役割は、ジャズやロック等が務めていた(今やその時代も終わり、ヒップホップやEDM等が台頭している)。

栄枯盛衰は世の習いということか。