18世紀後半の古典派〜20世紀後半の現代音楽にかけて、クラシック音楽史の「恐怖音楽」作品を紹介していく。
中世〜バロックの時代だと、グレゴリオ聖歌の「怒りの日」、ジェズアルドのマドリガーレ、マレの「膀胱結石手術図」などもあるが、今となっては怖くないので、これらは割愛した。
また、21世紀だと、ライヒの「WTC 9/11」などはかなり怖いが、あまり好きではないのでこちらも割愛した。
単純なサウンド面での怖さは、時代が進むにつれて増していく傾向がある。
はっきり言って、19世紀中盤くらいまでの音楽は、即物的に見れば全く怖くない。
古い音楽で怖がるには「怖がってやるぞ!」という心構えと、少しばかりの予備知識が必要になる。
ヴォルフガング・アマデウス ・モーツァルト(1756年1月27日 - 1791年12月5日)
放蕩者の色男ドン・ジョヴァンニの末路を描いた悲喜劇。
クライマックスでは、ドン・ジョヴァンニとの決闘に敗れた騎士長が亡霊となって現れ、ドン・ジョヴァンニに改心を求める。
これを拒否したドン・ジョヴァンニは、地獄に引きずり込まれてしまう。
因果応報!悪者がいなくなって良かったね!
というお話である。
実はこの「ドン・ジョヴァンニ」、モーツァルト版の初演に先立ち、イタリア人オペラ作家ガッツァニーガが同年に同名作品を発表し、大好評を博していた。
あのモーツァルト先生が「二匹目のドジョウ」を狙ったわけだ(こちらも無事大成功)。
両者を比較すると、モーツァルト版の「地獄落ち」シーンの異様さが益々もって際立つ。
ガッツァニーガの「地獄落ち」は古典的明快さ・娯楽としての愉しさを備えており、最後のハッピーエンドへの繋ぎもごくごく自然。
他方、モーツァルト版の「地獄落ち」は大変壮絶なものであり、その後のとってつけたような不可解さの残るハッピーエンドとの落差がすごい。
100年以上後の表現主義音楽の萌芽を感じさせると言ったら言い過ぎだろうか。
・ガッツァニーガ版
※騎士長の亡霊登場シーンからスタートします。
・モーツァルト版
※同上。
フランツ・シューベルト(1797年1月31日 - 1828年11月19日)
「魔王」(1815年)
音楽の授業で聴いてトラウマになった人、ネタ扱いしている人、様々だろう。
「魔王」の詩の解釈については、父親による児童虐待説、性的暴行説等、様々な説が唱えられている。
「魔王」の詩に音楽をつけたのはシューベルトだけではない。分かっているだけでも計10人以上が曲を残している(あのベートーヴェンもスケッチを残している)。
作詩者のゲーテ自身は、当初、シューベルトの「魔王」をあまり評価しなかったそうだ。
シューベルトの表現した異様な恐怖が、当時の音楽観としては、受け入れがたかったのかもしれない。
この作品は、フィッシャーディースカウの歌唱が滅茶苦茶上手い。
語り、父、息子、魔王の演じ分けが冴え渡る。
往年の落語名人のようだ。
※ニコニコだが歌詞コメント付きはこちら
エクトル・ベルリオーズ(1803年12月11日 - 1869年3月8日)
「幻想」という綺麗な語感に惑わされてはいけない。
この曲が通俗名曲扱いされていることが不思議でならない。
こんな異常なまでに狂った音楽が……。
本作の白眉は第5楽章。
愛する女性を殺害し、死刑に処せられた青年が、自身の葬儀で悪魔の大饗宴を目撃するという内容だ。
「聴いたことあるけど、全然怖くない」という人もいるだろう。
現代の恐怖音楽、ホラー映画等に慣れきってしまった我々が本作を怖がるためには、「当時の聴衆」になりきる、思いを馳せる必要がある。
ベートーヴェンの没後3年にして、この発想の先鋭ぶり(楽器編成、奏法、パッセージ、構成、固定観念の導入、ストーリー性…)を考えてみていただきたい。
何から何まで頭がおかしいとしか思えないはずだ。
本作の一番狂った演奏は、1967年のミュンシュ指揮/パリ管のライブである。
※第5楽章からスタートします。
ジュゼッペ・ヴェルディ(1813年10月10日 - 1901年1月27日)
「レクイエム 」より「怒りの日」(1874年)
これもBGMとして使われ過ぎて、もはやあんまり怖くないか。
個人的にはそんなに思い入れのない曲なので、説明は割愛。
怖い演奏としては、トスカニーニとサバタが双璧。
※「怒りの日」からスタートします。
アントン・ブルックナー(1824年9月4日 - 1896年10月11日)
交響曲第9番(1896年)
世紀末芸術。作曲者が最晩年に辿り着いた境地であり、死とか得体のしれないモノ・世界に対する恐怖・畏怖がよく表れている作品だと思う。
聴いていてどこか異世界に連れていかれるような怖さがある。
長大な作品だが、第一楽章冒頭の第一主題提示までの3分ほどだけでも、世界観に浸ってみていただきたい。
アルノルト・シェーンベルク(1874年9月13日 - 1951年7月13日)
「月に憑かれたピエロ」(1912年)
ここにきて表現主義音楽が登場。
全編無調で書かれており、「退廃」という言葉がこれ程しっくりとくる作品はそうそうあるまい。
これまでの恐怖音楽と違って、冷た〜い感じが独特だ。
最近では天才ヴァイオリニストのコパチンスカヤがピエロ役を「演じた」演奏が聴き物だ。
※「月に憑かれたピエロ」からスタートします。なお、本演奏会では「ピエロ」の合間々々に他の作曲家の作品も演奏されており、コパチンスカヤはヴァイオリンも演奏している。
バルトーク・ベーラ(1881年3月25日 - 1945年9月26日)
「中国の不思議な役人」(1925年)
サイコオカルト超問題作。
スラム街で生活する悪党3人組が、少女を使って不気味な中国の役人を誘惑し、強殺する。
吊るされた役人の体は、暗い部屋の中で青緑色に輝き始める。
少女の懇願により下ろされた役人は、少女と抱き合い、至福の呻き声を上げた後、苦悶の末、息絶える…。
あまりの生々しさ・不道徳ぶりに、本国ハンガリーでは長らく舞台上演禁止とされたほどだ。
筋を抑えながら聴くと全編誠に恐ろしい音楽だ。
特に、暗い部屋の中で役人の体が光り始めるくだり(合唱が入る部分)は、何度聴いてもゾッとしてしまう。
※冒頭、薄汚いスラム街の喧騒。〜03:08あたりまでを聴いていただきたい。
※誘惑され興奮が最高潮に達した役人と少女の「追いかけっこ」〜6:25あたりまで。
※暗い部屋に吊るされながら、青緑色に発光し始め、こちらをギロリと睨みつける役人。〜1:45あたりまで。
バルトーク・ベーラ(1881年3月25日 - 1945年9月26日)
「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」より第3楽章(1936年)
標題の無い純音楽。
ここにきて怖さがワンランク上がったように感じる。
古より伝わる忌まわしい呪いを思わせる音楽だ。
※第3楽章からスタートします。
アルノルト・シェーンベルク(1874年9月13日 - 1951年7月13日)
「ワルシャワの生き残り」(1947年)
歌詞を把握したうえで聴くとゾッとする曲。
ユダヤ人作曲家であるシェーンベルクが、怒りを込めてホロコーストの悲劇を告発した作品だ。
第一次大戦前に作られた「ピエロ」と第二次大戦後に作られた「ワルシャワ」とでは、全く作風が異なっている。
冷たく退廃的・幻惑的な無調による前者に対し、厳格な十二音技法で書かれながらも激烈な怒りと怨念に満ちた後者。
タイプこそ違えど、怖さで比較するなら、断然後者の圧勝である。
処刑間近のユダヤ人達が一斉に「聞け、イスラエル!」と歌い出す部分は、いつ聴いても背筋の凍るような怖さがある。
クシシュトフ・ペンデレツキ(1933年11月23日 - 2020年3月29日)
「広島の犠牲者に捧げる哀歌」(1959年 - 1960年)
純粋なサウンド面での怖さは歴代最強クラス。文学的、標題的な解釈や文脈と関係なく、生理的な恐怖心・嫌悪感を掻き立てる楽曲。
理屈をこねくり回す西洋芸術音楽の極北が、プリミティブな生理的反応を刺激する楽曲だというのは、中々どうして面白いじゃないの。
余談だが、ペンデレツキは、この他にもポリモルフィア、ルカ受難曲等の恐怖音楽を残したものの、ある時期を境に新ロマン主義の作風に転向してしまう。
芥川也寸志(1925年7月12日 - 1989年1月31日)
「チェロとオーケストラのためのコンチェルト・オスティナート」(1969年)
ここに来て日本人作曲家の初登場。
ご存じ文豪・芥川龍之介の三男坊。
快活な作品が多い彼にあって、一際晦渋・薄気味悪い音楽だ。
呪文のように執拗に繰り返されるオスティナート音形に、父親譲りの仄暗く陰惨な「闇」を感じさせる。
アラン・ペッテション(1911年9月19日 - 1980年6月20日)
交響曲第7番(1966-67)
暗黒魔界から湧き上がってきた音楽。
どうしようもなく暗く、重く、おっかない作品だ。
ペッテションの作品はどれもが救いようもなく暗い。
アルフレット・シュニトケ(1934年11月24日 - 1998年8月3日)
合奏協奏曲第1番(1977年)
ポスト・ショスタコーヴィチとして一部で注目を集めるシュニトケ。
ユダヤ系ドイツ人とヴォルガ・ドイツ人の息子として旧ソ連で生まれ育った作曲家。
その生い立ちと政治状況も大きく影響したのだろう。
ファウスト・カンタータ、ピアノ五重奏曲、きよしこの夜、長崎など、彼の作品は苦悩と皮肉に満ちた恐ろしいものが多い。
本作は長大だが、是非冒頭から最後まで通して聴いてみていただきたい(「とある箇所」に差し掛かった際に、背筋が凍り付くような恐怖に襲われること請け合いだ)。
三善晃(1933年1月10日 - 2013年10月4日)
「響紋」(1984年)
我が国が誇る希代の天才作曲家。
日本的なドス黒い怨念の極致がここにある。
最後の「うしろのしょうめんだあれ」の怖さときたら……。
ちなみに、この人の「レクイエム 」(1971年)も滅茶苦茶怖い。