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「春の祭典」インスパイア系

「20世紀以降に産み出された音楽作品の最高傑作は何ですか?」


「芸術作品に優劣はつけられないので、その質問はナンセンスだ」(良識的相対主義者)


「Baby SharkはYouTubeで一番再生回数の多い動画だから、これが歴史上最高の音楽に決まってるだろ」(狂信的資本主義信奉者)


「"人による"としか答えようのない質問なので、そういう質問をするのって"頭の悪い人"だなぁって思いまーす」(ひろゆき大好き中学生)


春の祭典でFA」(今日の俺)


20世紀以降の最高傑作「春の祭典」。

ラーメン界における「二郎」の如き強烈な個性の塊で熱烈なファンも多数。

「二郎」と同じく「インスパイア系」がそこそこ存在する。


ストラヴィンスキー本人の作品

火の鳥」(1919年組曲版)から「魔王カスチェイの凶悪な踊り」

春の祭典」(1913年)等の作曲を経て、さらにレベルアップしたストラヴィンスキー管弦楽法

四管編成の「火の鳥」(1910年全曲版)から、1919年組曲版では二管編成にシェイプアップ。

単なるコストカット版にあらず。

全曲版の「カスチェイ一党の凶悪な踊り」に比べると、トロンボーンの「パオーン!」グリッサンドや、ティンパニの「ディンドゥン!」オクターブ強打など、効果的なアレンジが目白押しだ。より野生味溢れる音楽になっている。


「結婚」(1914 - 1923年)

春の祭典」の兄弟とでもいうべき作品。

両者とも太古のロシアの儀式がモチーフとなるバレエ作品というのは共通している。

春の祭典」が生贄を捧げる異教の儀式であるのに対し、「結婚」は田舎の農家の婚礼がモチーフ。

色彩的な大管弦楽を使いながら、鍵盤打楽器等の編入楽器や声楽のない「春の祭典」。

これに対し、「結婚」はピアノ・打楽器・声楽からなるモノトーンな作品だ。

原始主義時代と新古典主義時代の架け橋とでもいうべき、ストイックな玄人向け作品となっている。


「三楽章の交響曲」(1945年)

新古典主義に作風転換後、一般聴衆の期待を裏切り続けた捻くれ者ストラヴィンスキー

そんな新古典主義時代を締め括る作品の一つがこの「三楽章の交響曲」だ。アメリカ移住後に作曲されている。

約30年ぶりにかつての「春の祭典」がそこかしこで木霊する。

しかしながら、どこかハリウッド的・こけおどし的な空虚さがつきまとう(必ずしも悪い意味ではない)。


・他の作曲家によるインスパイア系作品

「スキタイ組曲」(1916年)

春の祭典」を含むストラヴィンスキー三大バレエの初演を手掛けた天才プロデューサー、ディアギレフ。

そんなディアギレフにバレエ用の自作を売り込むも、「これじゃあ『春の祭典』の二番煎じだ」とにべもなく断られたプロコフィエフ

仕方なく演奏会用の作品に仕立て直したのがこの「スキタイ組曲」。

好きな人も多いようだが、19世紀来のテイストを引きずっており「劣化版・春の祭典」という趣がして、私はあんまり好きじゃない。


「センセマヤ 蛇殺しの唄」(1937/1938年)

メキシコ人作曲家レブエルタスが作曲。

「メキシコ風ダイジェスト版・春の祭典」だ。

私にとってはあくまで「色物」枠。


「バレエ・メカニック」(1924年初稿完成、後に度々改訂)

アメリカ人作曲家のジョージ・アンタイルが作曲。

自称"Bad Boy of Music "(ダサすぎる。もうちょいマシなネーミングはなかったんか。)

この「バレエ・メカニック」は映画音楽として作曲された。機械の踊り子によるバレエをイメージした作品で、「楽器」として飛行機のプロペラや電子ベルが使用されるという「ぶっ飛び」具合だ。

自由な悪ガキが描いた「春の祭典」とでもいうべきか。

インスパイア系としては私はかなり好きな部類。

 

・インスパイア系として括るには傑作過ぎる作品
弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」(1938年)

ストラヴィンスキーの好敵手バルトークの作品。

春の祭典」を、新古典主義のストイックな世界で蒸留し、よりオカルティックかつ冷徹に洗練させた逸品だ。

バルトーク作品だと、一般的には「中国の不思議な役人」が「春の祭典」インスパイアと言われるが、より深く煎じ詰めた傑作はこちらだろう。


・日本人によるインスパイア系作品

戦前のハイソな日本人の間では、フランス文化が大変に持て囃されたそうだ。

また、戦後はドイツ音楽礼讃がタブー視されたこともあり、フランス系の作風の作曲家が日本国内の楽壇で主流派となり、影響力を持った。

ストラヴィンスキーはロシア出身の作曲家だが、「春の祭典」はフランス時代に作られており、フランス文化万歳の日本人作曲家(の卵)達に多大なる影響を与えた(らしい)。


シンフォニア・タプカーラ」(1954年初稿完成、1979年改訂版完成)から第三楽章

ストラヴィンスキー・フリークの伊福部昭

青年時代に「春の祭典」のレコードを聴いて感銘を受け、独学で作曲を学ぶ。

本作も「春の祭典」等ストラヴィンスキーの影響が色濃い。

アイヌ版・春の祭典」だ。


交響曲第1番」(1965年)

伊福部昭の弟子・松村禎三の作品。

松村も若い頃はフランスもの(特にラヴェル)に熱中し、「ラヴェ公」とあだ名されていたほどだとか。

アイヌ的・日本的で壮健な作風の師匠と異なり、より汎アジア的・偏執狂的な怨嗟と情念に満ちた作品が多い。

この「交響曲第1番」もそんな作品の一つだ。

「汎アジア的・春の祭典」。


管弦楽のための協奏曲」(1964年)

天才青年・三善晃の作品。

東大仏文科卒業後、コンセルヴァトワールに国費留学し、鳴物入りでデビュー。数多の賞を総嘗めしてみせた三善晃

1970年代以降、何があったのか、日本的な暗い怨念に満ちた作品を書くようになってしまう。

本作はそんなダークサイドに堕ちる(昇華する?)前の作品だ。

いかにも育ちの良いおフランス趣味が濃厚(本作について作曲者本人はシェーンベルクの影響を受けていると語っているそうだけど)。

不健康な美しさとなだれ込むような怒涛の凝集力には、只々圧倒されるばかりである。

「濃縮版・春の祭典」。