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ハイドン VS ベートーヴェン【音楽史を作ったライバル達③】

バッハ VS ヘンデル【音楽史を作ったライバル達②】 - 弁護士法人フィクショナル・公式ブログ(架空)の続き

 

【時代と場所】

18世紀末〜19世紀初頭のウィーン

 

【登場人物】

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732年3月31日 - 1809年5月31日)

 

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770年12月16日頃 - 1827年3月26日)

 

【対立の概要】

・二人は師弟関係にあり、互いにその実力を認め合っていたこと、活躍した時期もあまり重ならないことから、「ライバル」だとか「対立」というのは、本来適切な表現ではない。

・しかし、ハイドンベートーヴェンの作品に対し批判的な立場をとることもあり、必ずしも受け入れていたわけではなかった。

・また、二人の作曲家としてのスタンスや作品の性格は、面白いくらい対照的である。

 

【対立の背景】

ハイドンのキャリア終盤・ベートーヴェンのキャリア初期〜中期辺りが、古典派音楽の時代終盤にあたる。

この時代、作曲家の地位は、貴族お抱えの「雇われ職人」から、市民社会ブルジョワを客層とする「フリーランスの芸術家」へと変貌していった(モーツァルトは、正にこの過渡期にフリーランスに転身し、失意と貧困の内に「討ち死に」した悲劇の人である)。

ハイドンは、宮仕えの作曲家であり(一時期を除く)、日々の業務として作曲や演奏を大量・能率的に行った。その音楽には、貴族趣味とユーモアが同居し、ウィットに富んだ気品と簡明さが特徴だ(実は複雑に書かれており、演奏は非常に大変なのだが)。

他方、ベートーヴェンは、フリーランスの音楽家として活動した現代的なイメージの「芸術家」のパイオニアである。「業務」ではなく「芸術」として作られたその音楽は正に「一曲入魂」。論理的・知的でありながら、ほとばしる感情とインスピレーションの爆発が感じられる。

 

【後世への影響】

・形式や簡明さを重視した古典派の傾向を脱却し、もっと個人的な感情や夢を自由に表現するロマン派音楽が台頭する。

ハイドンが完成し確立した古典派音楽の精神を、ベートーヴェンが受け継ぎ、肥大化させ、破壊した。

・特に交響曲弦楽四重奏曲が重要。ベートーヴェン交響曲弦楽四重奏曲をある種の「デッドエンド」へと導いてしまう。

一連の交響曲群は、ワーグナー派 VS ブラームス派による「仁義なき戦い」の遠因となる。

晩年の弦楽四重奏曲「大フーガ」は、100年近く理解されず忌避された超前衛作品である。この分野での後継者の出現は、20世紀のバルトーク登場を待たなければならなかった。

 

【聴き比べ】

交響曲

ハイドン交響曲第104番『ロンドン』」(1795年)

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ベートーヴェン交響曲第9番」(1824年)

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弦楽四重奏曲

ハイドン弦楽四重奏曲第77番『皇帝』」より第2楽章(1797年)

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ベートーヴェン弦楽四重奏曲『大フーガ』」(1826年)

youtu.be

 

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