アルトゥージ VS モンテヴェルディ【音楽史を作ったライバル達①】 - 弁護士法人フィクショナル・公式ブログ(架空)の続き
【時代と場所】
18世紀前半のドイツ
【登場人物】
ヨハン・セバスティアン・バッハ(グレゴリオ暦1685年3月31日 - 1750年7月28日)
ゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデル(グレゴリオ暦1685年3月5日 - 1759年4月14日)
【両者の比較】
・当時、二人が互いに敵対視していたであるとか、殊更に意識して切磋琢磨していたわけではないため、「ライバル」というのは本来適切な表現ではない(バッハはヘンデルとの面会を望んだものの、ビッグネーム同士の邂逅はついぞ実現しなかった)。
・しかし、いずれも1685年3月(グレゴリオ暦)に、現ドイツ国内の近しい場所で生誕している(バッハの生誕地アイゼナハとヘンデルの生誕地ハレは直線距離で130km程度しか離れていない)。双方ともバロック時代後期を代表する大巨匠であり、ヤブ医者ジョン・テイラーの手術によって晩年に失明しているなど、共通点が多い。
・他方で、二人のキャラクターは面白いくらいに対照的だ。
・バッハは……
・・2度の結婚で20人もの子をもうけた。
・・活動地域はドイツの辺境にとどまった。
・・オペラ作品は全く作らなかった。
・・古風な対位法を探求し続けた、厳粛でストイックな作風。
・・生前は作曲家として必ずしも正当な評価は得られなかった。
・ヘンデルは……
・・音楽一族の生まれではない、父親は外科医兼理髪師。
・・生涯独身。
・・活動地域はドイツ、イタリア、イギリス(帰化)と国際的。
・・オペラ作品を数多く残した。
・・対位法の探求には拘らず、華やかで開放的な作風。
・・生前から作曲家として高い名声を誇った。
【後世への影響】
・両者とも、後世のドイツ語圏の作曲家達(特にウィーン古典派のハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンら)の作風に影響を与えるとともに、「偉大なるドイツ音楽」の源流として崇拝されることになる。
【聴き比べ】
・オラトリオ
バッハ「マタイ受難曲」より第1曲
・オーケストラ曲
バッハ「ブランデンブルク協奏曲」第3番より第3楽章
・鍵盤曲
バッハ「ゴールドベルク変奏曲」より「アリア」
ヘンデル「調子の良い鍛冶屋」