弁護士法人フィクショナル・公式ブログ(架空)

架空の国の架空の弁護士によるブログ

シュトックハウゼンの世界

シュトックハウゼンの創作歴を、ドラゴンボール(以下「DB」)のアニメになぞらえて整理する試み。

私自身、当然ながら、膨大にして超難解なシュトックハウゼン作品の全貌を理解しているわけなど全くない。

あくまで素人的・個人的な鑑賞の楽しみのため、独断と偏見に基づいて、半ばこじつけ的に整理してみた次第。

真面目な鑑賞・分析を希望される御仁におかれては、松平敬氏による「シュトックハウゼンのすべて」をご購読されたい(強くお勧めいたします)。

 

シュトックハウゼンの日本における受容史

シュトックハウゼンといえば、前衛音楽の象徴的人物。

ビートルズの「サージェント・ペパーズ・・・」(1967年)のジャケットには、作曲家として唯一掲載され、未来志向の大阪万博においては、ドイツ館のBGMに使用され(1970年)、ミュジカメラのテレビCM(1974年)では、グレン・グールドによって物真似・パロディのネタにされるなど、アイコニックな存在だったことはたしかだ。

サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
最上段の左から5番目がシュトックハウゼン

※1:00~がシュトックハウゼンのパロディ。グールドはこの他にエルガーマーロン・ブランドのパロディキャラも演じている。

youtu.be

ところが、1977年、シュトックハウゼンの(日本での)受容・評価は180度ひっくり返る。

日本の国立劇場委嘱作「歴年」及び「シリウス」の初演と、苛烈なまでの酷評。

これを機に、日本でシュトックハウゼンは「オワコン」扱いされ、その後の創作は完全に黙殺されるようになった。

私の記憶では、2007年に亡くなるまで、日本での大方の見方は「シュトックハウゼンの音楽は、1970年代後半頃、急速に精彩を欠くようになった。以後、現代音楽界においてシュトックハウゼンの影響力は全くない。」といった調子だったと思う。

1990年代にエレクトロ好きの若者達を惹きつけたのも、初期作品群であり、後期作品が評価されていたわけではなかったようだ。

潮目が(日本において)変わってきたのは、シュトックハウゼンが亡くなった後からではないかと思う。

YouTubeや配信サービスの充実等により、シュトックハウゼンの後期音楽にもアクセスしやすくなったこと(オリジナルレーベルの輸入CDは高額であり、事前情報の乏しい見ず知らずの「ゲンダイ音楽」へのアクセス手段としては、非常にハードルが高かった)、松平敬氏、野々村禎彦氏、清水穣氏らによる再評価・一連の活動等も大いに貢献しているやに思う。

 

シュトックハウゼンの創作歴とDBアニメ史(概観)

最初期(~1955年頃):DB無印

前期(1955年~1970年頃):DBZ(≒改)

(前期①(1955年~1960年頃):サイヤ人編〜フリーザ編)

(前期②(1960年頃~1970年頃):人造人間編〜魔人ブウ編)

過渡期(1970年代):DBGT

後期(1980年代~):DB超

(後期①(1980年~1995年頃):ビルス編~シャンパ編)

(後期②(1995年頃~2007年):ザマス編~力の大会編)

 

・最初期(~1955年頃):DB無印

手さぐり段階の時期ではあるものの、後の傑作群につながる強い個性の刻印を感じさせる。

「3つの歌」(1950年)

「前衛の闘士」も最初期には新古典主義風の調性作品から出発していた。

youtu.be

 

「クロイツシュピール」(1951年)

師匠メシアンに触発された総音列技法による作品。早くも天才との呼び声が上がる。

youtu.be

 

「フォルメル」(1951年)

主題的過ぎる(旋律が前面に出過ぎている)としていったんお蔵入りになった本作は、後年のフォルメル技法のヒントに。

youtu.be

 

・前期(1955年~1970年頃):DBZ(≒改)

・・前期①(1955年~1960年頃):サイヤ人編〜フリーザ

綺羅星のごとき傑作群。当時、シュトックハウゼンは、総音列技法による点描的音楽から、群作法、空間音楽、瞬間形式等を提唱していた。

DBアニメでいえば、作風の確立・人気絶頂期である。

ピアノ曲X」(1955年-1961年)

youtu.be

 

「グルッペン」(1955年-1957年)

youtu.be

 

「コンタクテ」(1958年-1960年)

youtu.be

 

・・前期②(1960年頃~1970年頃):人造人間編〜魔人ブウ編)

「ケージ・ショック」後。偶然性の音楽との対決・止揚を迫られた時期であり、当時、シュトックハウゼンは、プロセス作曲、直観音楽、世界音楽等を提唱した。また、調性回帰と露悪趣味が少しずつ顕在化し始めた時期でもあった。

DBアニメでいえば、超サイヤ人を登場させ、物語性・破壊描写の限界を迎えた後、タイムトラベル、パラレルワールドや主人公の交代、コメディ・ギャグ路線等、どうするか試行錯誤が続いた時期に当たる。

「ミクストゥール」(1964年)

youtu.be


「テレムジーク」(1966年)

youtu.be

 

「クルツヴェーレン」(1968年)

youtu.be

 

・過渡期(1970年代):DBGT

世界的に前衛が停滞に陥る頃。暗中模索で一番悪戦苦闘した時代ではないかと思う。

その後の創作の主軸となるフォルメル技法が登場し、旋律的な要素が前面に出てくるようになった。

(少なくとも日本での評価は)絶頂から一気に転落していく時期に当たる。

公職を退き、田舎のキュルテンで独自の模索を続け始めるようになったのもこの頃からだ。

ラッヘンマンやファーニホウら次世代が台頭し始めた時期でもあり、苦汁をなめたことだろう。

たしかに、この時期の作品群は、煌びやかな前期の傑作群と比較すると、新鮮味に欠けるのは否めない。

特に「歴年」に関しては、非常に聴きやすいものの、雅楽の焼き直しといった趣きであり、シュトックハウゼンらしい凄みは感じられない(あくまで個人的意見だが)。

ただ、「歴年」や「シリウス」の初演失敗だけでオワコン扱いするのもどうかとは思う。

同時期の「ユビロイム」など、個人的には大好きだ。

マントラ」(1970年)

youtu.be

 

「ユビロイム」(1977年)

youtu.be

 

「歴年」(1977年)

youtu.be

 

シリウス」(1975年-1977年)

youtu.be

 

・後期(1980年代~):DB超

「爆裂開き直り期」であり、作りたいものを作るという強い意気込みが感じられる。

俗物性・ユーモア・露悪趣味が強い個性として現れ出す。

ギャグ路線に立ち返って、世界観を広げに広げまくる現在の鳥山明を思わせると言ったら、こじつけが過ぎるだろうか。

 

・・後期①(1980年~1995年頃):ビルス編〜シャンパ

超大作オペラ「光」の作曲期。フォルメル技法を更に推し進めたズーパーフォルメルが出てくる。

DBアニメでいえば、破壊神やら超サイヤ人ゴッド超サイヤ人やら他の宇宙が出てきて、世界観が大きな広がりを見せつつ、強いコメディ色が同居する時期だ。

ピアノ曲XⅢ」(1981年)

内部奏法や発声等、「『歴史の帰結としてのセリー技法』の泰斗」たらんとした前期ピアノ曲群と比較すると、「イロモノ」的色彩が強い。

youtu.be

 

「ルシファーの踊り」(1983年)

youtu.be

 

「オクトフォニー」(1990年-1991年)

かなり俗っぽく楽しい宇宙戦争音楽。高尚な「ゲンダイ音楽」色は希薄だ。

youtu.be

 

・・後期②(1995年頃~2007年頃):ザマス編〜力の大会編

最晩年には未完の大作「音」が作られた。この作品において、シュトックハウゼンはフォルメル技法は採用せず、セリー技法に回帰している。

ピアノ曲XVI」(1995年)

電子音楽を取り入れたピアノ曲

youtu.be

 

「至高-時間」(2001年-2002年)

youtu.be

 

「宇宙の脈動」(2006年-2007年)

電子音楽としては遺作となる。DB超のジレン戦が歴代屈指の名バトルであるように、本作はシュトックハウゼンの総決算にして超傑作である。

youtu.be