20世紀生まれのクラシック音楽作家を三人挙げるとするならば、誰が適当だろうか。
アメリカ代表はジョン・ケージ(1912年9月5日 - 1992年8月12日)だろう。
たぶん異論はないと思う。
ヨーロッパ代表は誰か。
ブーレーズ(1925年3月26日 - 2016年1月5日)、
シュトックハウゼン(1928年8月22日 - 2007年12月5日)、
クセナキス(1922年5月29日 - 2001年2月4日)、
リゲティ(1923年5月28日 - 2006年6月12日)、
この四人の誰かだろう。
ブーレーズは、「調性音楽 ⇒ 無調音楽 ⇒ 十二音技法 ⇒ 総音列技法 ⇒ 管理された偶然性」という西洋芸術音楽史の順当な(?)流れを汲んだ優等生タイプ。
シュトックハウゼンは、この流れに加えて、電子音楽やら即興性やら視覚的アプローチまで含んだ誇大妄想的なタイプ。
クセナキスは、数学理論を口実・ダシにして、それまでになかった暴力性と野性味に溢れる音楽を書いた人で、正統派とは一線を画するアウトロータイプ。
リゲティは、音楽史の流れと悪戦苦闘し続け、常にコロコロと作風を変えながらも、その多くがハイクオリティという異次元的日和見主義者。
強いて一人だけ選ぶとするなら、シュトックハウゼンかなぁ。
アメリカのジョン・ケージと、ヨーロッパ(ドイツ)のシュトックハウゼン。
これで二人だ。
最後の三人目は誰だろうか。
あの人しかいない。
本年2025年は没後50年のメモリアルイヤー。
様々なコンサートが企画されている。

東側陣営、旧ソ連のショスタコーヴィチ(1906年9月25日(ロシア暦9月12日) - 1975年8月9日)だ。
いささか単純すぎるかもしれないが、三人にはキャッチコピーをつけることができる。
ケージは「実験音楽」。
偶然性とか沈黙の音楽、楽器の音とそうでない音の境界をとっぱらった音楽だ。
シュトックハウゼンは「前衛音楽」。
音の組織化に色々と小難しい理屈を持ち込んだ斬新な音楽だ。
小難しい理屈は、未聴感のある音楽を書くためのツールとして用いられる。
(?)がつくことがとても重要だ。
「社会主義を称賛し(?)、革命国家が勝利に向かって進んでいる現状を平易に描き(?)、人民を思想的に固め革命意識を持たせるべく教育する目的を持った(?)音楽」なのだ。
ショスタコーヴィチの存命中、西側での彼の評価は、ソ連当局の言いなりの御用作曲家、プロパガンダ作曲家といったものだった。
社会主義リアリズムにおいては、小難しい「実験音楽」や「前衛音楽」を書くことは許されなかった。
小難しい音楽を書こうものなら、ブルジョア的・資本主義志向として、シベリア送りである。
労働者を鼓舞する分かりやすい音楽を書かなければならなかったのだ。
そんなわけで、ショスタコーヴィチの音楽は、同時代西側の音楽と聴き比べると、ごくごく保守的に聴こえる。
社会主義リアリズム転向後の作品の多くは、19世紀末か20世紀初頭の音楽と言われても不思議ではない。
西側での評価が低かったのも分からないではない。
しかし、彼の死後、風向きが変わる。
旧ソ連からアメリカに亡命した音楽学者ヴォルコフが、「ショスタコーヴィチの証言」(以下「証言」)を出版したのだ(1979年)。
同著の出版は大スキャンダルであった。
社会主義の理解者にして忠実な愛国者と思われたショスタコーヴィチが、実は当局に絶望し、悲しみ、怒り、内心反抗し続けていたというのだ。
「証言」の出版は、西側で彼の評価が見直される契機となった。
ショスタコーヴィチ作品の研究も進み、他作品からの意味深な引用も数多く明らかになったのだ。
ただ、事はそう単純ではなかった。
「証言」は、出版当初から偽書疑惑(ショスタコーヴィチ自身の言葉をまとめたものではなく、ヴォルコフが勝手に書き連ねたでっち上げということ)を指摘する声が上がっていたのだ。
まず、著者のヴォルコフがショスタコーヴィチと何度か面会したという事実には、争いがない。
しかし、ショスタコーヴィチがヴォルコフの原稿全てを本当にチェックして署名したのか、限られたインタビュー時間を考えると原稿の分量が多すぎるのではないかetc.という疑問はある。
そもそも、ヴォルコフという人物自体、相当胡散臭い。
密告が横行していたあの時代・場所だ。
ごく親しい家族や友人ならまだしも、素性もロクに知れない若者に、老作曲家が心の内を赤裸々に開陳することなどあり得るのだろうか?
ただ、全くの出鱈目と考えると、それはそれで矛盾が生じる。
ショスタコーヴィチが生前にごく一部の人にしか披露しなかった作品がある。
「反形式主義的ラヨーク」という当局風刺の作品だ。
「証言」には、なんと同作の存在をほのめかす記述がある。
ショスタコーヴィチがヴォルコフに対してかなり立ち入った話をしていたことが窺われるのだ。
そんなわけで、「証言」は、全部が全部ショスタコーヴィチの言葉ではないのかもしれない。
しかし、一部にはショスタコーヴィチ自身の言葉と思われるものも含まれている。
というフワっとした評価が可能なのだ。
この「証言」を巡るスキャンダルについては、全てショスタコーヴィチが意図して仕組んだものではないかと、私は疑っている。
ショスタコーヴィチが生きていた時代、資本主義陣営と社会主義陣営と、どちらが勝利するのかはまだ分からなかった。
資本主義陣営が勝利すれば、ソ連の御用作曲家として、ショスタコーヴィチは歴史の闇に葬り去られるかもしれない。
他方、ひょっとしたら、ソ連が勝利するということもあるかもしれない。
あるいは、両陣営の対立は今後数百年も続くかもしれない。
そこで、ショスタコーヴィチは、歴史がどう転んでも、自分の作品が高く評価されるための仕掛けを用意したのではないか。
それが、ヴォルコフによる「証言」の出版だ。
ヴォルコフがインタビューを開始したという1972年頃には、既にショスタコーヴィチの健康状態はかなり悪化していた。
この頃、ショスタコーヴィチが死を強く意識していたことは間違いない。
彼の人生の走馬灯のような交響曲第15番が書かれたのもこの時期だ。
アメリカへの亡命を企図していたヴォルコフに対し、ショスタコーヴィチは自分の死後に出版することを厳命して、「証言」を書かせた。
「証言」の作成過程の妥当性や内容の真実性については、あえて補強・手助けをしなかった。
ヴォルコフがヘマをして当局に捕まったとしても、ショスタコーヴィチは「書かれた内容は出鱈目だ」と言い逃れができるからだ。
「証言」の真偽等をどうとでも評価できるような、フワっとした曖昧な形をあえてとらせたのだ。
そうすることで、「証言」を信用する立場からは、「当局の圧政に苦しみながらも、巧みな引用技法により社会主義を風刺した」と評価してもらえる(※引用されているのは旋律であって、言葉・文章ではないので、その意味合いは何とでも評価・解釈できてしまう。そもそも、引用と見ること自体、一つの解釈にすぎない。)。
他方、「証言」を出鱈目と切り捨てる立場からは、「社会主義の精神を体現した理想の作曲家」と引き続き評価してもらえる。
死人に口なし。当のショスタコーヴィチはもうこの世にいないので、事の真相は分からない。
後世の人間にプロパガンダ合戦をしてもらうのだ。
どう転ぼうが、あるいは、どちらにも転ばなかろうが、評価は安泰。
これこそが彼の狙いだったのではないか。
この中で、一般聴衆の支持を最も勝ち取っているのは、ダントツでショスタコーヴィチだ。
「証言」を巡る彼の作戦勝ちかもしれない。
しかし……、ここまでアレコレ書いといてなんだが、やっぱり彼の音楽を聴いて思うのは、音楽それ自体の凄み・説得力だ。
イデオロギーがどうとか、そんな低い次元のものではなくて、もっと普遍的な人間感情の生々しさ、救済を求める切望、魂の叫びが感じられる。