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初鑑賞①【柴田南雄「シンフォニア」(1960年)】

作曲家・諸井三郎の弟子に、入野義朗、柴田南雄、戸田邦雄という、いずれも東大卒のエリート三人衆がいたそうだ。

この三人衆が規範としたのは、ドイツ音楽だったらしい。

「そうだ」とか「らしい」と書いたのは、本日に至るまで、私が三人の作品を一つも聴いたことがなかったから。

私の歴史認識(日本のクラシック系音楽創作に関する歴史認識)は、だいぶフランス系に偏っていたようだ。

日本を代表する作曲家と言えば、武満徹三善晃の二大巨頭と信じて疑ってこなかった。

これまで、武満&三善を基軸として、関連人物へと枝分かれするように邦人作品を聴いてきた。

自然とその流れの外にいる人達は「その他大勢」として無視してしまっていたのだ(全くもって失礼かつ無知な話だけど)。

で、上記三人衆についても、物の本で名前を目にしたことがあるだけで、「作曲家崩れの評論家・学者でしょ」くらいに誤解していた(本当に失礼な話だ)。

さらに白状するなら、戸田邦雄に至っては、今日の今日まで名前すらまともに認識していなかった(本当に本当に失r)。

少し調べてみただけでも、興味深いことが分かった。

戦後間もない頃、戸田がレイボヴィッツの著作「シェーンベルクとその楽派」を日本に持ち帰り、入野、柴田と共に十二音技法を研究するようになったそうだ。

レイボヴィッツユダヤ系。シェーンベルクユダヤ人。十二音技法の広告塔アドルノユダヤ人。

戦後西側では、アンチ・ナチス音楽として、十二音技法が台頭していった(他方、伝統的なドイツ音楽の作曲家・教育者は公的立場から排除された)。

ドイツ音楽を規範としたという戸田ら三人衆が、十二音技法を研究したというのも、そうした時代の流れを汲んでのことかもしれない。日本はGHQの占領下にあったし。

ただ、音楽史のメインストリーム(私が認識するところの主流)から三人衆が外れているというのも、故なきことではなさそうだ。

戦後西側前衛が範としたのは、あくまでウェーベルンの系統(≒ 総音列技法の流れ)だったからだ。

総音列技法の流れから外れたレイボヴィッツシェーンベルクは、戦後の主流ではなかった。

レイボヴィッツシェーンベルクを範にした三人衆は、音楽史的には傍流に位置すると見て、多分間違いではなさそうなのだ。

 

・・・前置きが長くなった。

本日から早速三人衆の音楽を少しずつ聴いてみることにした。

 

まずは一人目。

柴田南雄(1916年9月29日 - 1996年2月2日)

名前は三人衆の中で一番有名かもしれない(勝手に私がそう思っている)。

錚々たる学者一族の家系の生まれだそう。

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柴田南雄シンフォニア」(1960年)

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う〜ん、実にシェーンベルクっぽい!

シェーンベルクの音楽を、日本的な怪奇趣味のテイストで仕立て直したような作品だぞ!

真っ先に連想したのが以下の作品だ。

 

シェーンベルク管弦楽のための変奏曲」(1928年)

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