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ブーレーズ VS ケージ【音楽史を作ったライバル達⑥】

シェーンベルク VS ストラヴィンスキー 【音楽史を作ったライバル達⑤】 - 弁護士法人フィクショナル・公式ブログ(架空)の続き

 

【時代と場所】

1950年代〜1960年代の欧米

 

【登場人物】

ピエール・ブーレーズ(1925年3月26日 - 2016年1月5日)

 

ジョン・ケージ(1912年9月5日 - 1992年8月12日)

 

【対立の概要】

・ヨーロッパ前衛音楽 VS アメリ実験音楽

・音楽作品の構築原理として「偶然性」の導入を認めるべきか。認めるとした場合、音楽作品における「偶然性」というものを、どのように位置づけるべきか。

 

【時代背景】

・かつて、シェーンベルクは旧来のメロディとハーモニー(和声法と対位法)を、ストラヴィンスキーは旧来のリズム語法(一定性・周期性)を、それぞれ拡張(解体)した。

・しかしながら、彼らが行った「改革」も、ブーレーズやケージら新世代気鋭の作曲家達からすれば、未だ不十分と映った。

シェーンベルクは、音高の並びについては、十二音技法という新たな理論を提唱したものの、作品の形式や構成、そして何より情感たっぷりの表現は、紛れもなく旧来の美観に根差したものだった。

ストラヴィンスキー流の新古典主義も、彼らにしてみれば、過去に遡る退廃か、先達からの遺産を弄ぶパロディでしかなかった。

・1950年代以降、ブーレーズやケージが試みたことは、シェーンベルクストラヴィンスキーらによる「改革」の発展にとどまらない。音楽を構成するもっと根本的な原理自体の見直し(リズム、メロディ、ハーモニーという音楽の三要素の解体)である。

・1951年にシェーンベルクが逝去した際、ブーレーズが発言した「シェーンベルクは死んだ」は、文字通りの意味にとどまるものではない(小泉進次郎構文ではない)。「本当の意味で新しい音楽を作るべき時代が来た」というダブルミーニングであり、ニーチェの名言を意識したものであった。

・両者の考える新しい音楽とは、端的に言えば「感情と因習を排除した音楽」である。シェーンベルクストラヴィンスキーらの作品に未だ根付く「感情」と「因習」を、音楽から取り払おうとしたのである。

・作曲家の自由な感性に委ねるだけでは、過去の音楽の記憶から派生したもの、慣習、個人的好み、手癖を排除することができなかった。どんなにインスピレーションを振り絞っても、「どこかで聴いたことのある音楽」、「先達の亜流」との誹りを免れない。これこそが、当時ブーレーズやケージが立ち向かっていた問題であった。

 

【対立に至る背景】

・当初、ケージは、音高以外の要素として、新たな音色の開拓とリズムのシステマチックな構築を目指した。その帰結が「コンストラクション・イン・メタル」(1939年)等。

・他方、ブーレーズは、十二音技法を習得し、伝統的な形式の解体を目論んだ「ピアノソナタ第2番」(1948年)等を発表した。

・この時点までは、両者とも、主観的な感情表現と因習を排除した音楽作りを目指すという点で、共通の問題意識を有していたといえる。

・実際、両者は互いの創作状況等を手紙で密に報告し合い、双方の作品を自国で紹介すべく尽力する等していた。残された手紙からは、互いに敬愛の念と創作活動への強い情熱が、ひしひしと伝わってくる。

・1951年、両者のスタンスの違いが少しずつ顕在化し始める。

・ケージは「易の音楽」(1951年)を、ブーレーズは「ストリクチュール第1巻」(1952年)をそれぞれ発表した。

・「易の音楽」の作曲において、ケージはチャート(図表)を使用した。音の各パラメータについて、占い(コイントス)の結果をもとに、チャートを作成し、楽譜に反映させた(「偶然性の音楽」の創始)。

・「ストリクチュール第1巻」において、ブーレーズマトリックス(図表)を使用した。音の各パラメータを規定する数列・ルールを設定し、この数列・ルールの適用結果を、楽譜に反映させた(「総音列技法」の本格的な導入)。

・両者が用いたチャートとマトリックスは実によく似ている。互いの創作状況を知ったブーレーズはケージに対し、自分達が「探求の同じ段階にいる」と喜びを伝えた。

・しかしながら、同時にブーレーズは「たったひとつ満足できない」点があることをケージに伝えた。それは、ケージのチャートが占い(コイントス)という「絶対的な偶然性」に依拠していることであった。

 

【「偶然性」を巡る対立】

・1952年、両者の決裂はいよいよ決定的となる。

・ケージは「4分33秒」(1952年)を発表した。演奏家4分33秒の間、何らの音も発しない音楽である。ケージ自身、ブーレーズの怒りを買うことを予想してか、この作品については手紙の中で全く言及したこともなかった。

・「4分33秒」において、作曲家と演奏家は「沈黙」を主張する。「沈黙」に対し意識的に傾聴することで、聴衆は「沈黙」=「無音」ではないことを悟る。作曲家と演奏家が何も主張せずとも、聴衆の衣擦れ、咳払い、会場の家鳴り、聴衆自身の呼吸や鼓動等、その時・その場で必ず何らかの音が鳴り響いている。こうした偶然的なもの、作曲家のコントロールを離れた音も、聴衆の捉え方次第では音楽になり得る。「今まさにこの場で鳴り響く音」(作曲家のコントロールが及ばない意図せざる音)にも、面白いものがあるではないか。豊穣なる音に満ちた私達のこの世界にもっと耳を傾けよう。これがケージの新たな発見・主張であった。

本作によって、ケージは「感情と因習を排除した音楽」を創り出すことに、本当の意味で初めて成功したといえる(これが実際に聴いて面白い音楽であるかどうかは別問題として)。

・他方、ブーレーズは、前衛音楽の金字塔ともいうべき「ル・マルトー・サン・メートル(主なき槌)」(1955年)を発表した。総音列技法の使用による音響の画一化(どの作品も似たような印象になってしまう)という問題を踏まえ、音の各パラメータの管理統制を柔軟に行う方向を模索したのである。ブーレーズは、音楽作品(を構成する音の様々なパラメータ)の精密なコントロールに拘り続けた。

・1957年、楽壇におけるケージの影響力を無視できなくなったブーレーズは、演奏における偶然の必然性を導入することを宣言し、「管理された偶然性」を提唱した。さらに、名指しこそしないものの、ケージの態度を「怠慢による偶然性」として批判した。

・ケージ流の「偶然性」は、作曲家による音のコントロールを敢えて放棄・制限することによって、未知なる聴体験を獲得することを目指すものであった。

・これに対し、ブーレーズ流の「管理された偶然性」においては、演奏次第で作品の構成や演奏順序等に変化が生じるが、そのような偶然自体も、作曲家自身の意図に沿うよう設計されている。ケージが作曲家のエゴから音楽を解放するために用いた「偶然性」すらも、ブーレーズは、単なるツール(音楽を構成するパラメータ)の一つとして、作曲家のコントロール下に置こうとしたのである。

・その後、「管理された偶然性」を導入した作品として、ブーレーズは「ピアノソナタ第3番」(1955 - 1957/1963 - 未完)や「プリ・スロン・プリ」(1957-1962 , 1965改訂 , 1984改訂 , 1989改訂)を作曲した。

・ケージは、引き続き、ラディカルな「偶然性」の技法を探求し、「ピアノと管弦楽のためのコンサート」(1958年)等を作曲した(作曲プロセスに偶然性を導入した「易の音楽」と異なり、本作においては、演奏プロセスに偶然性が導入されている。演奏の度に全く異なる音が聴こえてくるようになっている。)。

 

【対立の顛末と後世への影響】

ブーレーズは「管理された偶然性」を主唱したが、結局、その試みは「ピアノソナタ第3番」のように未完に終わるか、「プリ・スロン・プリ」のように改訂を重ねて不確定な部分を排除していく等により幕を閉じた。

・さらに、ブーレーズ流の「管理された偶然性」は、一聴してそれと判別できるような効果がないことから、ルトスワフスキらに批判されることになる。

ブーレーズ流の「管理された偶然性」は作品全体の構成に関わるマクロの技法だといえる。他方、ルトスワフスキ武満徹らが用いた「管理された偶然性」はミクロの技法である。特定の箇所で、複数の奏者が曖昧な指示に従って各々演奏することにより、奏者ごとにテンポや繰り返し回数等の異なるパッセージが幾重にも積み重なり、混沌とした音響効果が生まれるのである。

・「偶然性」を巡る対立は、大方の受容としては、ルトスワフスキ武満徹流のミクロな「管理された偶然性」として発展的に解決されたといえる。

・1970年代以降、ヨーロッパ前衛音楽とアメリ実験音楽の動向は、いずれも停滞していくことになる。コントロールを突き詰めるブーレーズの方向性と、コントロールを放棄するケージの方向性と、両者両極の試みが臨界点に達した後の時代であるからして、むべなるかな。

・その後の音楽創作の動向は、微視的には色々とあり、興味深い音楽作品も数多く生み出されている(ジャンル問わず)。しかし、我々は「西洋芸術音楽史」という「大きな物語」を失ってしまった。今や我々は、様々な音楽が並列的に屹立する、「進歩」することのないカオスな時空間に投げ込まれた状況にある。このような事態が、音楽又は音が持つ何らかの性質に起因するものなのか、我々人間の感性の限界によるものなのか、はたまた、ニーズを際限なく細分化していく資本主義等の社会システムが原因なのか、私達には分かりようもない。

・ただ、今なお確実に言えることは、私たちが求める限り、あらゆる時と場所において、音楽は紡がれていき、誰も本質的な意味においてそれを妨げることなどできないということだ。

 

「芸術に『進歩』は馴染みません。芸術の命は『変化』です。」(ブーレーズ

 

「私が死ぬまで音はあり、私が死んだ後も音は鳴り続けるだろう。音楽の未来を案ずることはない。」(ケージ)

 

【聴き比べ】

ケージ「コンストラクション・イン・メタル」(1939年)

 

ブーレーズピアノソナタ第2番」(1948年)

 

ケージ「易の音楽」(1951年)

 

ブーレーズ「ストリクチュール第1巻」(1952年)

 

ケージ「4分33秒」(1952年)

 

ブーレーズ「ル・マルトー・サン・メートル」(1955年)

 

ケージ「ピアノと管弦楽のためのコンサート」(1958年)

 

ブーレーズピアノソナタ第3番」(1955 - 1957/1963 - 未完)

 

武満徹「アステリズム」(1968年)