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ジョン・ケージに学ぶ「強かな生き方」

 

くそダサい自己啓発本みたいなタイトルになってしまった。

 

ジョン・ケージ(1912年9月5日 - 1992年8月12日)は、アメリカ生まれの実験音楽の作曲家である。

 

「20世紀を代表するクラシック音楽の作曲家を一人だけ」挙げるとすれば、彼は間違いなく最有力候補である。

 

そのくらい、ジョン・ケージという存在は、20世紀の音楽界(ひいては芸術分野全般)において、唯一無二にしてビッグであり、ひときわ異彩を放っている(一般聴衆に全く受け入れられていないという点はさておき)。

 

ジョン・ケージの強かさは、端的に言えば以下の3点に集約される。

 

①苦手分野で戦わない

②格上が現れたら方向転換

③やりたいことは諦めない

 

順に見ていこう。

 

①苦手分野で戦わない

ケージの師匠シェーンベルクは、作曲において和声の感覚(様々な和音が積み重なり、進行していくことで、どのような効果が得られるかをイメージできること)が極めて重要であることを、ケージに説明した。

これに対し、ケージは自分が和声の感覚を全く持っていないことを告白した。

シェーンベルクは「それは君にとって音楽を続けることの障害になるだろう。ちょうど通り抜けることのできない壁につきあたるようなものだ」と伝える。

ケージは「それなら、私は壁に頭を打ち続けることに一生を捧げます」と答えたという。

ケージが偉かったのは、自分の弱点(それもかなり重大な弱点)を素直に認め、臆せずこれを師匠にさらけ出したことだ。

そのうえで、才能がないものに関しては「ないものねだり」をせず、無理に身につけようとはしなかった。

ケージは、音楽創作にあたり、和声の感覚・センスが重要となる音高ではなく、新しい音色の開拓やリズムの知的な構築・組織化という方向に力を入れた。

プリペアド・ピアノの発明や「コンストラクション」シリーズの作曲等)。

彼は、自分の苦手分野を素直に認めて、これを避け、得意分野を開拓するという姿勢をとったのである。

和声のセンスはなくとも、物事を深く考察したり、奇抜な発想を展開することには長けていたことから、ケージのこの選択は英断であった。

 

②格上が現れたら方向転換

ケージは、音高の操作に関しては、独創性を発揮することを諦め、音色やリズムに注目し、知的で構築的な作曲路線を邁進した。

しかし、13歳年下フランスの天才ピエール・ブーレーズとの出会いが、新たな転機となる。

ブーレーズの音楽の緻密さ・構築性は、ケージのそれを数段凌ぐものであった。

他ならぬケージ自身、このことを痛いほど自覚していたようだ。

親交を結んでしばらく、両者の間で交わされた手紙のやりとりからは、ケージのブーレーズに対する遠慮が窺える。

このままの路線では、絶対にブーレーズには敵わない。

ケージは悩んだ。

ブーレーズとの邂逅から約2年、ケージのスタンスが大きく変わり始める。

音楽の緻密さで敵わないのであれば、緻密さの追究など止めてしまおう。

むしろ、緻密さを捨て、音のコントロールを敢えて放棄・制限するという手法はどうだろうか。

「偶然性の音楽」の創始である。

(「易の音楽」や「ピアノと管弦楽のためのコンサート」等)

正にコロンブスの卵、コペルニクス的転回であった。

一般的な意味でいえば、ケージの「音楽的才能」は、シェーンベルクブーレーズらのそれには遠く及ばない。

しかし(あるいは「だからこそ」というべきか)、彼は苦手分野を克服するという不毛な努力には時間を割かなかった。

また、得意分野を開拓しても、安住することはなく、その分野に格上が現れれば、潔く方向転換した。

結果として、彼の名声は、音楽というジャンルを超え、師匠シェーンベルクや盟友ブーレーズを凌ぐまでに至った(この2名を知らずとも、ケージの名は知っているという人も多いことだろう)。

ケージは、優れた決断力と巧みな搦め手でもって、天下をとってみせたのだ。

「才能」あるいは「気合いと根性」で窮地を打破するといった、少年漫画的・スポ根的な価値観とは、真っ向から反するスタンスである。

 

③やりたいことは諦めない

彼は逃げてばかりの腰抜けなどではない。

むしろ、やりたいことは諦めず、殆ど頑迷と言って良いほど、己を貫いた人でもある。

前衛音楽・実験音楽が停滞に陥るポスト・モダンの時代に入っても、ケージがラディカルな創作を諦めることはなかった。

悪戦苦闘しながらも「未知なる音楽を開拓したい」という絶対に譲れない部分については、諦めずに拘り続けたのだ。

この時期以降の創作の軸も、やはり彼が創始した偶然性の技法であった。

偶然性の技法を用いつつ、純音楽路線への拘りを捨てる(朗読テキストにも偶然性を導入して、難解・意味深さを演出する等)、既存の調性音楽を換骨奪胎してみせる、さらには、アンチ・ケージ的な「管理された偶然性」の手法を逆手に取ってみせたナンバー・ピースの作曲等々。

彼は「やりたいことの大枠」からは絶対に逃げなかった。

その枠の中で、苦手分野・格上との争いを避けつつ、縦横無尽にイマジネーションを展開していった。

そうすることで、彼は、自身すらも当初は考えもしなかったような何事かを達成してしまうのである。

 

ジョン・ケージのような立ち回りは、そうそう簡単に真似できるものではない。

だからこそ、彼は芸術の分野において、唯一無二の存在になり得たのだ。

しかしながら、人生の岐路に立たされたとき、何らかの挫折感に苛まれたとき、ジョン・ケージの「強かな生き方」(私はこれを勝手に「ケージ三原則」と呼ぶ)は、とても実践的で優しい人生哲学のように思えてくる。

ちょっとした心の支え・指針になるような気がするのは、私だけだろうか。