ryuchell氏が亡くなった。
自殺と見られるが、その原因はまだわかっていない。
生活環境・肉体の急激な変化と、これに伴う苛烈なバッシングが影響しているのかもしれない。
「自分らしくいること」の難しさ(恐ろしさ)というものを、改めて痛感させられる。
我々人間は、自らの心身という「枠」に囚われ、かつ、社会(人間関係)というある種の「対立・緊張構造」の中で生活することを余儀なくされている。
「自分らしくいること」自体が、己の心身という「枠」への負荷となり、社会という「対立・緊張構造」が更なる重圧となる。
耐えきれなくなった「枠」は、文字通り「壊れる」ことになる。
「枠」が壊れないよう、「自分らしさ」に目をつぶり、押し殺し、あるいは意識すらせず、社会と妥協しながら生きている人々の何と多いことか(少なくとも私はそうした人間の一人だ)。
「みんな違ってみんないい」
「個性を尊重しよう」
「自分を大切にしよう」
こうしたもっともらしい綺麗事というものが、何とも無責任で偽善的な、薄っぺらい絵空事に思えてならない。
もし、死後の世界というものがあるならば、どうか「枠」にも「対立・緊張構造」にも囚われない、「自由な魂」が飛翔する、そんな世界であってほしい(私は死んだら綺麗さっぱり「無」に還るのが第一希望だけれども)。
謹んで哀悼の意を表します。