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再びジブリがいっぱい

先日更迭されました、ジーコ松浪です。

 

コロナ、なかなか収束しませんねぇ。

近頃増えてるのは弱毒化したタイプなんじゃないか、という希望的観測もあるようです。

若年の感染者、軽症者や無症状者が非常に多いということで。

ただ、まだわからんですね。

重傷者の増加まで概ね2週間程度のタイムラグがありますから。

少なくとも、あと1〜2週間くらいは待たないと、まだ何とも言えなさそうです。

 

最近、コロナの影響だか何だかで、映画館では過去の名作を再上映しております。

客足の遠のきを恐れ、配給会社が封切りを遅らせている新作もあるようですから、仕方なく、というところでしょうか。

映画館としては、微妙な作品をダラダラ公開し続けてたって、売上げは下がる一方でしょうから。

 

で、私も千と千尋とか、もののけ姫とか、再上映中のジブリ作品を観てきました(感染者が増加し出す前ですね。また行くのが少し怖くなってきたなぁ。)。

これをきっかけに、アマプラやなんかで配信中のジブリ作品をチラホラ見返したりしとります。

 

ジブリ作品って、時間を置いて(歳をとって)から見返すと、印象が変わる作品が少なくないですね。

子どもや若い時分には分からなかった、色んな気付きがあります。

よくある曲解・妄想全開なヘンテコ「解釈」だとか、怪しげなジブリ都市伝説とかじゃなくてね。

 

例えば

 

平成狸合戦ぽんぽこで、狸たちが喜び勇んで宝船に乗り込むシーンが、集団入水自殺の場面だということ(ここのバックで読み上げられる古今亭志ん朝のナレーションが、何とも泣かせる名調子!)

 

魔女の宅急便で、主人公のキキは、初めから猫のジジと会話なんてできていなかったこと。

キキは、魔法が使えない&ジジと会話できなくなるというスランプ状態を経た後、最後には魔法の力が戻った。しかし、ジジとは会話ができないままだった。

この終盤のシーンが示しているのは、ジジとの会話は、魔法の力によるものではなかったということ。

劇中の会話(っぽいやりとり)は、子供の人形遊びやイマジナリーフレンドのようなものだったということ。

キキが精神的に成長したことで、ジジとの会話(っぽいやりとり)が必要なくなったことを表している。

 

崖の上のポニョは、不穏な作品。

ハッピーエンドで終わっているけど、作品の下地には、人魚姫の童話や、ニーベルングの指環が意識されている(ポニョは魚の女の子で、本名はブリュンヒルデニーベルングの指環のヒロインの名前もブリュンヒルデ。劇中、津波のシーンでは、あの有名は「ワルキューレの騎行」のパロディ曲「ポニョの飛行」が流れる。)。

人魚姫は王子に裏切られて風の精に生まれ変わる。指環のヒロインであるブリュンヒルデは、自分との愛の誓いを忘れたジークフリートを死に至らしめ、最後には神々の世界が滅びる。

宗介はまだ5歳。人魚姫の王子やジークフリートと違って、まだ子供。ポニョが魚だということをどれだけ理解しているのか。人間の社会にあって、大人になった後も、ポニョを真摯に愛し、添い遂げることなどできるのか。

もし宗介が裏切ったとしたら、ポニョは何をしでかすだろうか。

宗介はどうなる?また大津波を起こしたら人間の世界は?海の世界は?

考えるだに恐ろしい。

(あるいは、宮崎駿は、純粋で無垢な愛というものを、せめてあの「崖の上のポニョ」という作品世界の中だけでも、実現してみたかったのかもしれない。時の流れや世界が限られたあの「崖の上のポニョ」という作品の中だけで実現可能な、そんな儚い真なる愛を。そうすることで、人魚姫やブリュンヒルデのような数多の悲しきヒロイン達を、救ってあげたかったのかもしれない。ちょうど映画の世界の中でシャロン・テートを救ってみせた「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」のように。)

 

・あと、千と千尋は、なんか泣ける(すごいざっくり)。

 

 

以上、とりとめのないお話でしたが、久々のブログ更新でした。

ではまた!

 

 

※この連載はフィクションです。実在の人物、団体及び事件等とは何ら関係がありません。