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超LGBT論:第2回「性別グラデーション論」

不定期連載として「超LGBT論」をアップする。fictional-law.hatenablog.com

前回(第1回)に続き、性別にまつわる議論・見解を取り上げ、今後の社会の在り方・行く末について考察していく。
第2回は「性別グラデーション論」である。


・性別グラデーション論の主張

性別の在り方は人により多様であり、「男性か女性」とはっきり分けられるものではないという主張である。典型的な主張は以下のとおりだ。

①人間の性別は、A.身体(からだの性)B.自認(心の性)C.指向(好きになる性)D.表現(服装や言動等の性)等の項目ごとに区別して考えるべきだ。

男性と女性の両極の間にグラデーションがあり、上記A~D等の各項目のグラデーションのどこに属するかは、人によって異なっている。

③したがって、戸籍上の性別や外見等に基づいて、他人にレッテル貼りをすることや、何らかの言動・態度を強要することは止めましょう。

今日、多くのLGBT活動家や政府関係者、学者らが提唱する見解である(現時点での通説と言って良いかもしれない)。


・性別グラデーション論の問題点

第1回で紹介した性別二元論と比較すると、性別グラデーション論は、より実態に即した考え方といえそうだ。
しかし、実のところ、性別グラデーション論にも色々と問題はある。

A.身体の性について
たしかに、身体の性が単純に男女に二分できないことは、第1回で紹介したとおりである。
しかし、身体の性の両極とは、どういう状態をいうのだろうか。
この世界には、超男性症候群(染色体がXYY)や、超女性症候群(染色体がXXX)の人々が存在する。
これらの人々は、両性の極に位置するのだろうか。
極ではないとしたら、これらの人々をグラデーションのどこかに位置付けることは可能なのだろうか。

B.性自認について
この世界には、無性のノンバイナリーを自称する人がいる。
無性のノンバイナリーとは、自分のことを男とも女とも、男と女の中間とも、男と女の両方とも、ある特定の2つの性の間で自認する性が揺れ動くとも認識しない人の性自認をいう。
このような性自認は、グラデーションのどこにも属さない。

C.性的指向について
この世界には、動物性愛者(ズーフィリア)、植物性愛者(デンドロフィリア)や、対物性愛者(建物や自動車等の無生物に惚れる人)等を自称する人がいる。
これらの人々の性的指向は、グラデーションのどこにも属さない。

D.表現の性について
無性のノンバイナリー的なファッションは、グラデーションのどこにも属するものではないだろう(ご本人らの認識はともかくとして、S田K樹氏やLディー・Gガ氏らの服装は、グラデーションのどこにも属さないだろう)。

もっと根本的な問題
男性と女性の両極とはどういう状態を指すのだろうか。
「もっとも男性的」あるいは「もっとも女性的」というのは、どのような状態なのか。
言葉で説明してみせることは非常に難しい。
目の前の人の身体や言動を見て、「男性的」であるとか「女性的」であると感覚的に判断することはできるかもしれない。
しかし、そうした個別の例を離れて「もっと一般的・普遍的に男性性や女性性を定義せよ」と言われると、これはもうお手上げである。
よくわからない「男性」と「女性」という概念の両極と、その両極の間にあるグラデーションについて、明晰に考え、議論することなど不可能である。
性別グラデーション論によっても、性にまつわる人間の実態を汲み尽くすことはできず、おそらくは誤った主張だと考えざるを得ないだろう。


第3回へ続く

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