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超LGBT論:第4回「従来の議論が持つ意味」

不定期連載として「超LGBT論」をアップする。

fictional-law.hatenablog.com

前回(第3回)に続き、性別にまつわる議論・見解を取り上げ、今後の社会の在り方・行く末について考察していく。
第4回は「従来の議論が持つ意味」である。


・議論状況の振り返り
第1回から第3回にわたり、性別二元論、性別グラデーション論、性別フィクション論について検討した。
これら3つの立場はいずれも「性にまつわる我々人間の実態」に関する説明を試みる見解である。

性別にまつわる議論の両極には、性別二元論と性別フィクション論が位置づけられる。
かたや「人間は生まれつき男女のどちらかに属する」という素朴な性別概念信仰があり、他方の極には「男女という概念自体がフィクションである」という過激な性別概念懐疑論がある。
性別グラデーション論は、この議論の両極の間に位置し、論者によって主張のニュアンスも異なるまさに「グラデーション」をなす見解である。


素直に検討・議論を行うと
性別二元論

性別グラデーション論

性別フィクション論
という順番・帰結に至る。

 

性別二元論については、生物学的に誤っているうえ、この考え方を受け入れられない(自殺すら考える)人が一定数存在するという問題があった。

性別グラデーション論については、生物学的観点からの反証はされていない。しかし、男女のグラデーションのどこにも属さない事例(例:無性のノンバイナリー、動物性愛者、植物性愛者、対物性愛者等)について、適切な説明・位置づけができない。また、各項目(身体の性、性自認性的指向、表現の性)について、「男性」と「女性」の概念を明確に定義ができないという問題もある。

他方、性別フィクション論については、性別二元論や性別グラデーション論のような矛盾・誤り等は見出し難い。しかし、この考え方を実社会に素直に適用すると、ほとんどの人には到底受け入れ不可能な帰結が得られる(論理的には、動植物や無生物との婚姻についても、一般的な婚姻と同等の法的保護を与えるべきである等の結論に至りかねない)。

性にまつわる議論の行き着くところ
「論理的に正しく見えても、受け入れ難い帰結」
が導かれてしまうのである。

・議論を行う意味
これら議論を行うことの真価は、実のところ、問題解決にあるわけではない。議論の目的は、性的マイノリティが抱える問題を可視化することにある。
素朴な性別二元論の社会認識から「漏れ出てしまう」人々に思いを致すこと、彼らに共感し、思いをはせること。
これこそが従来の議論の意義である。
我々はグラデーション論やフィクション論によって、性的マイノリティが抱える問題を可視化し、問題意識を共有することができる。
しかし、問題を可視化し、共有した暁には、我々は一連の仮説(性別二元論、性別グラデーション論、性別フィクション論等の大上段の議論)を全て捨て去らなければならない。
なぜならば、問題を可視化することが、これら議論の役割であって、これら議論自体は、実践的な問題解決には何の役にも立たないからである(性別フィクション論がもたらす論理的帰結が混沌・混乱でしかないことは前回見たとおりである)。

かっこつけてウィトゲンシュタイン風に言えば、我々は性にまつわる議論という「梯子」を登りきって新たな地平に立ったとき、自らその「梯子」を捨て去らなければならないのだ。

 

・ではどうすれば良いのか?
一つには、大上段の議論を完全に放棄し、個別事例ごとの解決を積み重ねていくというアプローチが考えられるだろう。
少なくとも、アドホックな解決(事例判断、特定の場面においてのみ有効な解決案)を手探りしているのが、法の場面での現場の対応・実情といえるだろう。
個別対応論とでもいうべきか。大上段の議論はさておき「目の前のこの人がこんな風に困っています、さあどうしましょう」というスタンスだ。
しかし、こうしたスタンスにも限界はある。
個別具体的な判断であり、法的安定性・予測可能性は欠くことになるからだ。
現状の対応は、裸の利益衡量という「万能ナイフ」による解決を探る段階でしかない(例えば、裁判所が判断スケールにおける考慮要素を列挙したところで、通常、その優先順位等はわからず、結論との論理的なつながりはブラックボックスである)。
当面は、事例判断の積み重ね、先例の引用と否定・練り直し、判断枠組みの具体化・精密化を続けていく他ないだろう。

より一般化するならば、性的マイノリティを巡る問題は「思想・良心の自由VS公益等の他の法益の権衡の問題」に置き換えることができる。
大枠としては、一定の行動様式に従う又従わないことに伴う精神的苦痛の度合いや思想の真摯さを、客観的に検討して対応を判断するこということになるだろう(もちろん、苦痛の軽減措置によってもたらされる他の法益への影響も考慮しなければならない。)。

 

第5回へ続く・・・かも(気が向いたら、経産省トイレ判決やLGBT理解増進法についても検討する・・・かも)