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超LGBT論:第1回「性別二元論」

不定期連載として「超LGBT論」をアップする。
性別にまつわる議論・見解を取り上げ、今後の社会の在り方・行く末について考察していく。
第1回は「性別二元論」である。


・性別二元論の主張

「人間の性別は男性と女性の二性のみである」という考え方だ。
生物学的な二つの性別の存在だけを問題とすればよく、その他の考え方は、単なる個々人の主観・希望にすぎないとする主張である。
主に保守派が支持する伝統的な意見だ。


・性別二元論の根拠

①客観的な指標による裏付けがあるのは生物学的性別(男女二性)だけである
「人間の性別は、生物学上の指標(染色体の違い等)により、男女の二性に客観的に区別される。しかし、性自認性的指向には、客観的な指標による裏付けが何もない。」ということが一つの根拠として挙げられる。
すなわち、生物学上、人間の性別はXX染色体(女性)かXY染色体(男性)の二性に分かれる仕組みになっている。
これにより、人間は客観的に男女に区別されることになる。
しかし、性自認(自分の性別をどう考えるかという主観)や性的指向(自分がどの性別の人に惚れるかという主観)には、染色体のような客観的な基準・指標がない。
身も蓋もないことを言うと、LGBT等の性的マイノリティの主張は客観的裏付けのない個々人の主観・希望でしかないということになる。

②社会慣習・仕組みを変更することのコスト
もう一つ、性別二元論が主張される実質的な根拠としては、従来の社会慣習・仕組みを変更することに伴うコストへの懸念が考えられる。
更衣室、トイレ、公衆浴場、女性専用車両等の仕切りはもちろんのこと、婚姻制度等、生物学的な男女の区別を前提とした社会慣習・仕組みが、我々の社会には既に備わっている。
こうした社会慣習・仕組みを、個々人の主観・希望に配慮して細かく設計し直していくことにより、多大な社会的コストが発生する(ので、個々人の希望に逐一配慮すべきではない)という考え方である。


・性別二元論の問題点

①生物学上も男女の境界は曖昧である
性別二元論の根拠の一つには「人間の性別は、生物学的な指標(染色体等の違い)により、客観的に男女に区別される」という考え方がある。
しかし、この考え方は、実のところ実態と異なっており、誤りである。
実際には、染色体、性器、生殖巣やその他何らかの異常等による性分化疾患というものが存在する(厳密には疾患に分類されない異常もある)。
これら異常等により、男女のどちらかにはっきりとは当てはまらない人が相当数存在する。
一説には、最も広範な定義によれば、100人に1人が何らかの性分化疾患を有しているともいわれる(後掲)。
生物学的にも、どこからが男性で、どこからが女性という客観的・明確な基準を設けることはできず、男女の境界は曖昧なのである。
客観的に見て、男女の境界が曖昧であるならば、個々人の主観においても、男女の境界が曖昧になるということは十分にあり得ることである。

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②少数派の切り捨てになる
性別二元論は「少数派切り捨て」の極論である。
性別二元論を前提とすると、例えば、生物学上の男性は、たとえ外見や性自認が女性であったとしても、何らかの身体特性・健康上の理由により性転換ができないような場合、男性用更衣室の利用を強制されることになる。
このようなケースでの男性用更衣室の利用は、周囲の好奇の目にさらされ、性犯罪の温床にもなりかねない。
こうした問題は、ごく一例にすぎない。
同性カップルには、一般的に配偶者に認められる相続権、財産分与請求権や税制優遇がなく、社会保険給付等に関する制度も整備されていない。
配偶者であれば当然受けられる法的利益・権利を、同性カップルだけが享受できない(世間的にも制度的にも「家族」として認めてもらえない)というのは、いかにも酷である。
多数派は「自分には関係のないことだから、それでも構わない」と考えるかもしれない。
しかし、LGBT関連の問題に限らず、誰しも、何らかの社会問題について、少数派に属する可能性はある。
もしも、あなた(あなたの家族や友人)が少数派に属する問題が発生したとき、社会があなた方を切り捨てることを、あなたは容認できるだろうか。
「少数派切り捨て」の行きつく先は、優生思想・ナチズムよろしくディストピアである。


第2回へ続く

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