弁護士法人フィクショナル・公式ブログ(架空)

架空の国の架空の弁護士によるブログ

時代の転換点にいるのかもしれない

最近、学術・文化における転換点について考えることが多い。

2000年以上にわたって普遍の「真理」と考えられてきたユークリッド幾何学から、19世紀に至り、パラレルワールドのごとく新たに派生した非ユークリッド幾何学

同じく2000年以上にわたって「完成」されたと思われたアリストテレス流の伝統的論理学に対し、やはり19世紀になってから生み出された現代論理学。

ニュートンの「プリンキピア」によって、殆どの問題が解決したと考えられた(学問としては「オワコン」扱いされた)物理学においては、20世紀以降、相対論や量子論の展開に始まり、超ひも理論、M理論の登場等、百家争鳴の様相を呈する現代物理学の誕生。

国家の基礎法・最高法規として完成したかに思えた近代憲法から、第二次大戦での手痛い教訓を踏まえ、憲法自身の自己防衛システムを確立した(違憲審査制の制度的強化、平和主義等を導入した)現代憲法の誕生。

21世紀初頭(四半世紀の現在)、私達が享受してきた「お笑い」文化も、大転換点が迫っているのかもしれない。

20世紀末、枝雀が亡くなり、上岡龍太郎が引退した。
21世紀幕開け早々、志ん朝が亡くなった。
談志も死んだ。
島田紳助は引退し、ビートたけしは監督業へと軸足を移した。
容姿ネタ、セクハラ、パワハラ、「オネエ」いじりはNGになった。
とんねるずがテレビから消えた。
志村が逝った。
松本も引退するかもしれない。

「面白ければ何でも良い」という時代が終わり、「誰も傷つけない笑い」という毒にも薬にもならない(というより意味の分からない)イデオロギーが蔓延しつつある。

ともあれ、人が「笑い」を求めること自体は、古来普遍的なことだ。
需要のあるところ、形を変えて「笑い」が提供され続けることには変わりないのだろう。

しかし、高度専門化・分業化の進んだ現代においては、「一人の天才的革命家」が画期的な偉業をなすことは期待できない。
「お笑い」も同様だろう。
第二の松本人志ビートたけしの誕生を期待してはいけない。
多分、じわりじわりと、同時多発的にじっくりと変化していくのだろう。
我々はただ変化を見守るのみである。