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日本二大レクイエム【武満徹と三善晃】

 

最近、武満徹三善晃の作品をちょこちょこ聴いている。

 

「日本を代表する作曲家を二人挙げなさい」と言われたら、多くのクラシックファン(現代音楽も好むファン)は、この二人を候補に出すんじゃないかしら。

 

クラシック音楽の日本人作曲家として頂点に君臨する(した)偉い人達だ。

 

旧制京華中学を卒業後、芸大(当時の東京音楽学校)入試に臨むも、2日目の試験をブッチ。独学でデビューし、前衛指向の作風で国際的に高く評価された武満徹

 

かたや、東大仏文科在学中にコンセルヴァトワールへ留学し、近現代フランス流の書法を習得するも、日本へ帰国。保守派・アカデミズムの権威として、国内で神様のように崇拝された三善晃

 

経歴・作風・楽壇での立ち位置等を比較すると、まるで漫画のライバルキャラ同士的な対極っぷりである(悟空とベジータ、進藤ヒカルと塔矢アキラみたいな)。

 

有り体に言って、二人とも超天才だ。

 

決して「聴きやすい」作風ではないものの、聴くほどに惹き込まれていく不思議な魅力がある。

 

我輩の場合、武満徹に関しては、「トゥイル・バイ・トワイライト」や「ノスタルジア」等、晩年の聴きやすい作品から入門した後、初期の「アステリズム」や「カシオペア」、「アーク」等、前衛過激サウンド満載の作品に親しんでいった。

 

三善晃に関しては、「交響三章」や「管弦楽のための協奏曲」等、近現代フランス風の初期作品に親しんだ後、反戦三部作や合唱作品等、後年のダークな作品へと聴き進めていった。

 

こうして比べると、作品のタイトルにも、性格・作風の違いがモロに出ている。

 

初期段階から一貫して、タイトルの詩的なインスピレーションを重視していた武満徹

 

かたや、文学的な連想を拒絶するかのように、機能的なタイトルをつけていた三善晃(70年代以降は、オケ作品にも標題を付けるようになったけど)。

 

う〜む、興味深い。

 

そんな対極の存在である二人だが、共通して残した作品が「レクイエム」だ。

 

いずれも大傑作であり、日本二大レクイエムと呼んで差し支えないと思う。

 

武満徹のレクイエム(「弦楽のためのレクイエム」)は、彼の出世作であり、代表作の一つでもある。

友人である早坂文雄結核により逝去し、自身も同じ病に蝕まれる中、死を意識しながら書いた作品だ。

改めて聴いてみると、超アヴァンギャルドな初期作風の「世界のタケミツ」のイメージに反し、意外にもウェットで保守的な印象を受ける(一般的なクラシック音楽作品に比べたら、十分前衛的だけど)。

武満自身は本作について「自分のパーソナルな感情を単純に表現するだけのロマンチシズムに終わっていました」としており、出来には満足していなかったらしい。

たしかに、他の武満作品は、詩的、幻想的、神秘的といった形容が相応しいのに対し、本作はかなり情念的で、胸が締め付けられるような苦悶に満ちている。

シリアスな傑作であることは間違いないものの、武満らしいか、武満の代表作というべきかというと、素人ながらやや疑問にも思うところ。

 

三善晃のレクイエムもかなり強烈だ。

初期の模範的・保守的で美麗なフランス流の作品群とは、全く毛色が異なる。

無調、微分音、トーンクラスター、管理された偶然性等の前衛技法が取り入れられ、三善作品の中でも一際ドス黒い、地獄そのものとでもいうべき内容の作品となっている。

元来、三善晃という人は、自由な感性に基づいて、フランス流の音素材を使って書いたら、結果として古典的な作風になっているというタイプの作曲家だそうだ。

レクイエムについても、前衛的な理論や技法を使うこと自体に拘ったのではなく、三善自身の感性が求めた必然の結果として、これら技法が使用されたということなのだろう。

本作のテキストには、反戦詩や特攻隊員の遺書が用いられており、合唱とオーケストラは、死者の悲痛な怨念や慟哭を代弁するイタコと化す。

聴き通すのに相当な覚悟が必要な作品だが、「美しい音」「心地良い音楽」では決して表現できない、綺麗事ではない、人間存在にとって大事な、普遍的な何かが込められた大傑作であると思う。