本日11月25日は三島由紀夫の命日。
二期会創立70周年記念公演/日生劇場開場60周年記念公演のオペラ「午後の曳航」(ごごのえいこう)を観劇してきた。
完全に私の趣味だが、妻と母も同行。
原作・音楽ともに陰惨・晦渋であり、二人の鑑賞に堪えるか少々不安だった(以前、クラフトワーク来日公演に連れて行った際には、二人とも気持ち良さそうに船を漕いでいたし…)。
しかし、完全なる杞憂だった。
カーテンコールの際には、二人とも手を痛めんばかりの熱烈な拍手を送っていた。
備忘のため気付いた点を書き連ねておく。
◯総論
ストーリーの大筋は原作通りであるものの、台詞の改変・追加等により、原作よりもかなり簡略・明快なイメージになっている。
◯各論
・登の竜二に対する感情として、同性愛的側面が追加・強調されている。
・現実と妄想の境界が曖昧な場面がある(登が初めて房子と竜二の情事を覗き見する場面の終盤、登がうっとりと竜二の背中にもたれかかり、起き上がった竜二は登を見つめ返している。しかし、後の場面との繋がりを考えると、ここは登の妄想と考えられる。また、原作でも、この場面ではあくまで登は覗き見しているだけで、房子や竜二と身体的接触はしていない。)。
・子猫の殺害シーンは、袋に入った子猫を木槌で殴打して終わり(袋に入っていたのは、宮本演出かもしれない)。
・首領の名言「世界には不可能という巨きな封印が貼られている」の「世界」が「大人」に改変されている(この改変により、大人達と違い少年達だけが世界を変えられるという少年達の主張には矛盾がなくなる。しかし、三島由紀夫は、少年達の主張にあえて矛盾をしのばせたのではないかと、個人的には思う。)
・登が竜二を殺害しようとする場面では、登の内面にフォーカスし、その葛藤を描いている(海で死んでくれていれば良かったのに云々という独白が追加されている)。
・房子が竜二の最期を目撃するのも、原作には無い改変である(登が竜二へナイフを突き刺す寸前で舞台は暗転し、打楽器群が不気味な響きを残して幕は閉じる)。
◯音楽について
・音楽の性格自体は、恐ろしく暗く、不吉で、おどろおどろしく、時に狂的なまでにエロティックだ。
しかし、意外や意外、全く難解さを感じさせなかった(妻も母も同様の感想)。
ヘンツェの音楽は、前衛語法を取り入れながらも、本質的には劇的・肉感的であり、三島由紀夫の原作のイメージにピッタリだ。
バッハ、ベートーヴェン、ワーグナー、ブラームス、シェーンベルク……その伝統に連なる正統にして最後の継承者の面目躍如である。
イメージ的にはベルクの音楽に近いと改めて感じた。
歌手、ダンサー、オーケストラ、指揮者、その他関係各位、皆様天晴れ!!
そして、お疲れ様でした!!
オムライスが美味い。
※追記
後で調べて分かったのだが、原作「午後の曳航」の出版は1963年9月10日。
他方、日生劇場が完成したのも1963年9月。
劇場自体の外装・内装・空気感、いずれも原作の雰囲気によくマッチしていたのも偶然ではあるまい。