https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/159/093159_hanrei.pdf
性別変更の件といい、最高裁も随分とリベラルになったものだ。
大阪空港公害訴訟判決を書いていた約40年前とはもはや別組織である。
【日本史上最大の難事件】大阪空港公害訴訟【法的な意味で】 - 弁護士法人フィクショナル・公式ブログ(架空)
某教授の小咄【判例の「格」】 - 弁護士法人フィクショナル・公式ブログ(架空)
ネット上では、旧優生保護法の評価を巡って
「何もおかしな規定ではない」
「そもそも自力で子供を育てられない障害者が子供を生むな」
といった意見も散見される。
私自身は反出生主義に共感を覚える人間ではある。
反出生主義からは「障害児が生まれるリスクを回避することが正義である」という帰結が導かれるようにも思える。
しかし、私は旧優生保護法が違憲だという今般の大法廷判決に全く異論がない。
なぜか。色んな説明の切り口があり得るだろう。
直観的に分かりやすい説明の一つとして「ハゲ頭のパラドックス」が挙げられる。
【ハゲ頭のパラドックス】
「髪の毛が一本もない人はハゲである」(前提1)
「ハゲの人に髪の毛を一本足してもハゲである」(前提2)
ここで前提1に前提2を繰り返し適用していく(つまりツルッパゲの人に髪の毛を一本ずつ足していく)。
そして次の結論を得る。
「よって全ての人はハゲである」(結論)
ごく大雑把だが、この考え方を旧優生保護法に当てはめるとこうなる。
「不良な子孫の出生を防止しなければならない」(前提1、旧優生保護法第1条)
「不良な状態が多少マシになっても不良であることに変わりはない」(前提2)
前提1に前提2を繰り返し適用する。
「よってあらゆる子孫の出生を防止しなければならない」(結論)
「不良」な人間を根こそぎ排除していったとしよう。
その結果、いつの日か「あなたが人類の中で最も不良」と認定されることは避けられないだろう。
あなたの身を守るためにも、優生思想は否定しなければならないのだ(倫理的利己主義)。
完全に余談だが、私に言わせれば、どんなに賢明で裕福で頑健な人間であっても、そもそも子供を産むこと自体がめちゃんこギルティではないかと思う。
かつてブログで詳述したことなので、ここに理由は書かないけども。
障害者だけではない。
我々は等しく皆「罪」を背負って互いを頼って生きているのだ。