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創作物における最強の能力・キャラ

弁護士の阿部士義信です。

 

最近、私の中でアメコミ熱が絶賛ヒートアップ中です。

 

MCUの影響ですね。完全にニワカファンでございます。

 

アメコミに出てくる連中はとにかく強い!

悟◯とか勇◯郎とか比じゃないレベルです。

反則級の強さを誇るキャラでごった返しています。

 

アメコミだけではありません。

 

世界は広く、歴史は長い。

 

古来、様々な作品にとんでもなく強いキャラ達が登場しています。


ここでふと疑問に思うのが

古今東西、創作物における最強キャラはどんなキャラだろうか?」

という問題です。

 

本記事で私なりの考察を述べたいと思います。

 

・最強キャラの候補

大まかにグルーピングすると、以下の3候補が挙げられると思います。

 

1.全知全能者

要は「何でもできるという設定」のキャラです。

 

定義上「どんな相手にも勝つことができる」わけですから、最強候補の一角を担うと言って良いでしょう。

 

ところで、「全能」という概念については、論理的に矛盾が起きるんじゃないの?という問題があります。

 

「全能のパラドックス」として知られる問題ですね。

 

例えば「全能者は『重すぎて何者にも持ち上げられない石』を作ることができるか」という問いが考えられます。

 

この問いに対して、矛盾を起こすことなく、適切な回答を行うことが可能でしょうか。

 

これについては、哲学者や神学者が様々な回答を試みています。

 

なかなか面白いので、暇な方は是非ググってみてください。

 

2.メタ能力者

一般的な意味でいう「メタ」というのは、「超」とか「高次な」といった意味です。

 

創作物に関していえば、作品世界の外側に飛び出してしまったり、外側から作品世界に影響を及ぼしてしまうようなイメージですね。

 

本記事でいうメタ能力とは、「自分が創作物のキャラであること」を自覚していて、ストーリーを操作できる能力のことです。

 

たとえば、作品内に登場する作者本人。

 

作品の外側の存在である読者、視聴者に向かって話しかけたり、自分のいる世界が創作物であることを指摘する発言をするようなキャラですね。

 

メタ能力者の前では、全知全能キャラも途端に雑魚キャラに成り下がってしまいます。

 

全知全能キャラがいくら「私に不可能はない!」と主張しても無駄です。

 

メタ能力者にかかれば「それは作者がそういう設定で書いているだけでしょ?」などと相手をあしらい、ストーリーを改変したり、相手の存在自体を作品から消してしまうことも可能ですから。

 

全知全能キャラといえども、作品の外からの攻撃にはなす術もないのです。

 

ただ、「メタ能力も全知全能者の能力に含まれるんじゃないの?」という疑問もあります。

 

議論の余地大アリなのですが、とりあえず、ここでは「全知全能」とは、「作品内の世界における全知全能」であって、その範疇を超えるメタ能力は含まれないと一応整理しておきます。

 

3.タブー能力者

タブー能力(私が勝手にそう呼んでいます)とは、「このキャラが負ける展開を書くのはタブーだ」と作者に思わせる能力のことです。

 

中でも、創作物に登場する「アッラー」は、古今東西ダントツ最強のタブー能力者だと思います。

 

一応お断りしておきますが、私はアッラーそのものを創作キャラだと言っているわけではありません。

 

「創作物のなかに『アッラー』なる名前のキャラが登場する場合、その『アッラー』は創作キャラとしては最強である」というのが私の意見です。

 

(※念のため、イスラム教徒の信仰するアッラーと、創作物に登場するキャラとしての「アッラー」が、全く別物の概念であるということを、改めてお断りしておきます。

 

なぜ私がこんなにもクドクドと言い訳がましいことを書いているのか。

 

これについては、以下に書いた文からご理解いただけるものと思います。)

 

どういうことか。作品内とはいえ、「アッラー」を無下に扱ってしまうと、現実世界の作者の身に取り返しのつかない危険が及ぶ可能性があるからです。

 

悲惨な例として、日本で起こった「悪魔の詩訳者殺人事件」が挙げられるでしょう。

 

ご存知でない方のために書きますと、1991年7月、筑波大学助教授の五十嵐一氏が、同大学筑波キャンパス内で刺殺され、迷宮入りとなった事件のことです。

 

事件から遡ること2年前、1989年2月。

イランの最高指導者ルーホッラー・ホメイニー氏は、英国人作家サルマン・ラシュディ氏の小説「悪魔の詩」を、反イスラム的であるとして禁書としました。

さらに、ラシュディ氏や発行に関わった者に対する死刑を宣告するファトワー(勧告、裁断)を発令しています。

 

殺害された五十嵐氏も1990年に「悪魔の詩」の邦訳を出版していたのです。

 

被害は日本だけではありません。他の外国語翻訳者も襲撃されて重傷を負った他、トルコ語翻訳者集会襲撃の際は37人が死亡しています。

 

ちなみに、ラシュディ氏らに対する死刑宣告のファトワーは現在も有効なままです。

 

ファトワーを出した当のホメイニー氏が他界し、誰もこれを正式に撤回できなくなったためです。

 

もっとも、1998年以降、英国との関係改善を目論むイラン政府は、事実上、死刑支持を撤回しています。ラシュディ氏は英国人なので。

 

他方、イラン革命防衛隊は、現在もラシュディ氏らに対する死刑執行の警告を行なっています。

 

こんな次第ですから、「アッラー」が他のキャラクターに負ける展開など書こうものなら、熱心な信徒からの強い抗議(粛清)を受けることになるでしょう。

 

現実にも、他人が書いた本を翻訳しただけの人が殺されているのですから。その危険性たるや推して知るべしです。

 

・考察

❶全知全能者がいる世界

❷メタ能力者がいる世界

❸作者がいる世界

入れ子構造になっています。

 

❶全知全能者は、作品世界におり、その世界内の全ての事象をコントロールする能力を持っています。

 

❷メタ能力者は、作品世界の外側にあるメタ作品世界におり、全知全能者を含む作品世界それ自体をコントロールする能力を持っています。

 

❸作者は、メタ作品世界の外側にある現実世界におり、全知全能者やメタ能力者を含む作品世界それ自体をコントロールする能力を持っています。

 

[❸現実世界の作者{❷メタ作品世界のメタ能力者(❶作品世界の全知全能者)}]

 

という具合に、入れ子構造の外側に出るほど強い存在になるという関係にあります。

 

では、タブー能力者である「アッラー」はどうか。

 

アッラー」は、「自身を最強の存在として描写させることができる」という点で、作者の意思決定・創作活動をコントロールする能力を持っています。

 

ところが、創作キャラとしての「アッラー」がいる世界は、❶の作品世界か、せいぜい❷のメタ作品世界と同じレベルの世界です。

 

面白いことに、「アッラー」は、入れ子構造の内側の世界にいながら、❸現実世界の作者をコントロールする能力を持っているということになります。

 

このカラクリについては、❸現実世界の更に外側に、❹精神世界(人間の理性では捉えきれない世界・概念みたいなイメージで、とりあえずこう呼んでおきます。)の存在が観念できそうです。

 

❹精神世界には、あのアッラー(創作キャラじゃなくて、信仰対象となっている方)が存在します。

 

アッラーは、イスラム教徒の意思決定・行動をコントロールする能力を持っています。

 

❶作品世界内で「アッラー」が何らかの侮辱を受けた場合、❹精神世界のアッラーが、❸現実世界のイスラム教徒に対し、作者の粛清を命じ(少なくとも狂信者はそのように信じ)、狂信者が粛清を実行する、というプロセスを経ることになります。

 

図にするとこんな感じになるでしょうか。

 

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作品世界における「アッラー」の実態は、現実世界に干渉できる能力者などではなく、あくまで、作者粛清に至る仕組みを発動する「仕掛け」に過ぎない、と言えそうです。

 

このように考えると、「アッラー」が持つタブー能力の発動条件は3つあるということがわかります。

 

第1に、現実世界に、信仰心の強い信徒が多数存在していなければなりません。

 

現実世界の信徒数が多いほど、また、信仰の度合いが強いほど、粛清の恐怖が現実味を帯びていき、「アッラー」の強さは確かなものとなります。

 

第2に、作者粛清のプロセス・仕組みについて、現実世界で周知されている必要があります。

 

「『アッラー』を侮辱したら殺される」という情報を、現実世界の作者が知っていなければなりません。

 

そうでないと、「アッラー」を最強の存在として描く動機付けができないからです。

 

第3に、自分の作品が現実世界で周知される可能性を、作者が認識している必要があります。

 

「作品が信徒の目に触れる可能性がある」と作者が認識していなければ、「アッラー」を最強の存在として描く動機付けができないからです。

 

作者だけがその存在を知る物語、他人に見せない前提で作られた物語においては、タブー能力が発動する可能性は低くなります(旧共産圏のような監視・密告社会であれば話は別ですが)。

 

アッラー」がタブー能力を遺憾なく発揮できるのは、多数者の目に触れることが想定される商業ベースの作品ということになるでしょう。

 

ところで、現在、イスラム教徒の数は増え続けており、戦略国際問題研究所(CSIS)の2018年11月時点での報告によれば、9.11同時多発テロ以降、イスラム過激派の数も約4倍にまで増えているそうです。

 

また、ネットが隆盛を極める現代においては、「アッラー」の強さの源である上記第2、第3の周知性は、かつてないレベルにまで高まっています。

 

その意味で、商業ベースの創作物における「アッラー」の能力は、創作史上、間違いなく最強の状態にあるといえるでしょう。

 

・まとめ

 

・・タブー能力者が最強。

 

・・タブー能力者の中でも、現代の創作における「アッラー」がおそらくは史上最強。

 

・・「アッラー」をネタにしたラシュディ氏はどえれぇ奴。

 

 

いかがでしたでしょうか。

我ながら書いていて何だか怖くなってきてしまいました。

本日はこの辺りで失礼いたします。

 

さ、最強を目指して筋トレ頑張るぞ〜。

 

 

※この連載はフィクションです。実在の人物、団体及び事件等とは何ら関係がありません。