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三段論法の欠陥

弁護士の阿部士義信です。

 

先日、複数の裁判官と弁護士らによる勉強会(非公式)に参加いたしました。

 

気鋭の中堅・若手が集まり議論は白熱。

尿酸値がどうとか、誰それの髪が増えたとか、耳の裏につけるデオドラントはどれが良いとか、実に有意義な話しができました。

 

そんななか、ちょろっとだけ話題に出たのがアリストテレスの「弁論術」やら何やら。

具体的には、三段論法エトス・パトス・ロゴスについてでした。

 

1.三段論法とは 

 

三段論法というのは、大前提小前提から結論を導き出す推論方法のことです。

 

・大前提:全ての人間は死ぬ

・小前提:デーモン小暮閣下は人間である

・結 論:デーモン小暮閣下は死ぬ

 

前提さえ正しければ、必ず結論も正しくなるという演繹法的な推論ですね。

 

ちなみに、法規を事案に適用する場面の場合、これを法的三段論法といいます。

 

・大前提:年齢二十歳をもって成年とする(民法4条)

・小前提:デーモン小暮閣下は年齢二十歳を迎えている

・結 論:デーモン小暮閣下は成年である

 

という具合です。

ちなみに閣下、「いいとも」に出演なさった際は、御年10万0024歳とお答えになったそうですね。

 

法律家は皆この法的三段論法を使って議論しています。

全員共通の議論フォーマットです。

司法試験の答案もこれで書かないといけません。

これを使わないと「この人頭大丈夫?」みたいな変な空気が漂います。

 

 

2.三段論法の欠陥

 

三段論法の特徴は「前提さえ正しければ、必ず結論も正しくなる」ことです。

 

一見「議論最強の武器」っぽい感じがしますね。

 

しかし、三段論法には以下の重大な欠陥があります。

 

・前提の正しさの証明は不可能

 

たとえば、「全ての人間は死ぬ(大前提)」という前提について

 

これ、厳密に100%正しいと証明できるでしょうか。

ちょっと考えると不可能だとわかると思います。

 

まず、そもそも「人間」って何なのか。

「人間」と「人間でないもの」を明確に区別する基準は一体何なのでしょう。

一般的に指摘される人間の特徴、すなわち、言葉を話す、二足歩行、抽象的思考といった点…どれも基準としては使えません。

これらができない人はいくらもおりますから。

「DNAの塩基配列がこれこれの特徴を備えていれば人間である」などと説明するやり方が考えられるでしょうか。

しかし、実際のところ、生物学上、明確な線引きは困難と考えられているようです。

「人間」と「人間でないもの」の境界は、実はそんなにハッキリとはしていないのです。

 

「死ぬ」って何なのか。

これについても、実は現代に至るまで、判定基準や定義は曖昧なままとなっています。

詳しくは「死 定義」とかでググってみてください。こんな一見当たり前そうなことすら、私達は厳密な線引きができないのです。

 

こうなると、「全ての人間は死ぬ(大前提)」というのは、滅茶苦茶あやふやな言明だということになりますね。

証明する以前に、証明すべき事実が何なのかすら確定していないという有様なのですから。

 

仮に証明すべき事実が明確になったたとしても、事はそう簡単ではありません。

「全ての人間は死ぬ」と言い切れるそもそもの根拠は何でしょうか。

 

「今まで不老不死の人間なんて見つかっていないじゃないか」

「我々の祖先は皆死んでいるだろう」

ごもっともな意見です。

 

しかし、今後、突然変異で死なない人間が誕生するかもしれません。

また、不老不死の薬が開発されるかもしれません。

「そんなこと絶対にあり得ない!」と断言できる根拠など何もありません。

 

結局のところ「全ての人間は死ぬ」という前提は、「これまで観察された事例がそうだったから、全ての事例がそうなのだろう」という帰納的に得られた知見でしかありません。

 

論理必然的に「絶対正しい」などと証明することは不可能なのです。

 

ちなみに、デーモン小暮閣下は人間である(小前提)」というのはどうでしょうか。

 

デーモン小暮閣下」って何でしょう。

閣下から抜け落ちた髪の毛や、切られた爪は、「デーモン小暮閣下」でしょうか。

閣下の体内に入った食物や水分はどうでしょう。

閣下の身体は、日々、新しい細胞と古い細胞が入れ替わっています。

昨日と今日とでは、構成する細胞が違っているのです。

どちらも「デーモン小暮閣下」であると断言できる根拠は何でしょうか。

 

こちらも、証明する以前に、証明すべき事実が何なのかすら確定していないという事態になってしまいましたね。

 

話を元に戻すと、三段論法は「前提さえ正しければ、必ず結論も正しくなる」という推論方法でした。

 

しかし、実際のところ、現実世界の事象について「前提が正しい」と100%厳密に証明することなど不可能なのです。

 

三段論法というのは、現実世界ではおよそ成り立ち得ない理屈だということになります。

 

(※ちなみに、そもそもの問題として、「大前提と小前提から結論が導き出される」という三段論法の理屈の正しさについても、それ自体が証明されていない、証明不可能な前提ではないかとも考えられています。

ルイス・キャロルパラドックス」として知られる問題です。

不思議の国のアリス」の作者であるルイス・キャロルは、数学者・論理学者でもありました。

彼は対話編「亀がアキレスに言ったこと」の中で、先の問題についてユーモラスに指摘しています。)

 

はてさて困ったことになりました。

法的三段論法は、法律家同士の議論で用いられる共通のフォーマットです。

ところが、三段論法自体が、現実世界ではおよそ成り立ち得ない理屈だったとは。

 

ここで解決策として登場するのが、裁判手続きにおいては「証明責任」「証明度」等の概念であり、 もっと一般的な議論の場においては「エトス・パトス・ロゴス(三種の説得手段)」ということになるのだと思います。

 

長くなりましたので、詳細については次回記載予定です。たぶん。

 

 

  ※この連載はフィクションです。実在の人物、団体及び事件等とは何ら関係がありません。