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反出生主義へのまともな反論【閲覧注意】

弁護士の我松衰です。

 

 

 

 

 

 

 

※注意※

本記事を読むと、憂鬱になる可能性があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん、反出生主義という考え方をご存知でしょうか。

 

簡単に申し上げますと

子どもを生み出すことに対して否定的意見を持つ哲学的立場

のことをいいます。

 

個々の反出生主義者によって微妙に考えが異なりますので、必ずしも一枚岩ではありませんが。

 

だいたい共通しているのは

 

「存在することは悲劇だ」

生きることは苦痛だ」

「生まれてくる子どもの中には、必ずや不幸に見舞われる者がいる」

「生まれてくる子どもは、この世に生まれるかどうか自主的に選ぶことが出来ない」

「出生には子ども本人の同意がない」

「自分が苦痛だと思うのに、他人(新しく生まれてくる子ども)を同じ目にあわせるのは非道徳的だ」

「存在しなければ不幸になったり苦痛を受けたりすることもない」

「そもそも最初から存在しない、出生しないことこそが幸福である」

「新たに子どもを生み出すべきではない」

 

といった発想です。

 

ラスボスとかニヒルな悪役なんかが考えそうな内容ですね。

 

この思想、巷では「反論不可能」などと言われたりします。

 

詳しくはググってみてください。

 

少なくとも私は「反論に成功している」と感じるものに出会ったことがありません。

(まぁ何をもって「反論に成功している」となるのか、自然科学の仮説や数学の命題ではありませんから、今ひとつ明確ではありませんけども・・・。)

 

それどころか、大抵の「反論」が、品のよろしくない感情論であったり、前提を理解しているとは思えない単なる暴論だったりするのです。

全てがそうとは申しませんが。

 

このような「反論」に出くわすたびに

「実はこの『反論』は反出生主義者による自作自演であり、思想の正当性を訴えるためのただのプロパガンダではないか?」

と勘繰りたくなるくらいです。

 

ならばと、本記事では、天才弁護士である私、我松が、反出生主義に対する反論を試み、問題点をあぶり出してみた次第です。

 

仮装の対談形式で、Q氏が反出生主義に対する問題点・反論を述べ、反出生主義者のA氏が再反論をするという流れにしてみました。

①〜④の点について、Q氏の反論→A氏の再反論が展開されます。

 

なぜ一文の得にもならないのに、あえてこんな記事を書くのか。

それは私自身、反出生主義の考え方に共感しているからです。

 

私個人としては、この問題は「人それぞれで良いじゃん」では済まされない事柄だと思っています。

「子」という他人を巻き込む問題だからです。

 

この重要問題について、自身の中で整理するため、本記事を執筆した次第です。

まさに自作自演ですね・・・。

 

 

(なお、後述のA氏はあくまで架空の人物です。

私自身の主張を代弁する人物ではありませんし、私と見解が完全に一致しているわけでもありません。

また、既にお断りしました通り、反出生主義と一口に申しましても、一枚岩ではありません。

論者によって主張のニュアンスや狙いは千差万別です。

A氏=典型的な反出生主義者とは限りませんので、その点は何卒ご留意ください。)

 

果たして皆さんはどちらの主張が妥当と思われるでしょうか?

是非検討なさってみてください。

 

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反論①:将来若者の世話になる

 

・Q氏の反論

あなたが老いたり病気になった時、誰があなたを助けるのですか。

若い世代でしょう。

若い世代を担うのは、これから生まれてくる子ども達です。

子ども達が生まれてこなければ、社会は成り立ちません。

老いや病気に関するケアだけではありません。

あらゆる社会サービスが、あなた以外の多様な他者によって賄われているのです。

あなたはその恩恵を現に受けているし、これからも受けていくでしょう。

子持ち世帯は「子を生み出して育てる」という苦労をしています。

あなたの主張は、その苦労に対するフリーライド(タダ乗り)を招く点で、不当だと思います。

 

・A氏の再反論

基本的にはご指摘の問題は起こらないと考えております。

反出生主義者の中には、人類滅亡を理想と考える人がいます。

その中でもさらに過激派と穏健派に別れます。

過激派の中には、世界同時多発的な安楽死の実行による人類滅亡を目指す人がいます。

誰も苦しい思いをすることなく、即時に人類を滅ぼすという寸法です。

この場合、「子持ち世帯の苦労に対するフリーライド」というご指摘の問題は起こり得ません。

他方、穏健派は、段階的な人口減少により緩やかな人類滅亡を目指します。

この場合も、子持ち世帯に対しては手厚い助成を行い、それ以外の世帯には増税等の措置を講ずることで、不公平感を解消することが可能です。

したがって、いずれにしても、あなたが指摘するフリーライドの問題は起こりません。

そもそも、あなたの主張は「奴隷の生産・再生産」を正当化するものであり、不当です。

何も知らない、選択権もない子ども達を、一方的に現世の生活に巻き込む。

そして私達の生活のために働かせる。

そんな行いは正義に反することだと思います。

 

反論②:信奉するメリットがない

 

・Q氏の反論

反出生主義は、生きる意欲を削ぐ非建設的な思想であり、その点で不当だと思います。

反出生主義って要は「生きること」をネガティブに捉える立場ですよね。

そんな考え方をしていたら人生がつまらなくなるでしょう。

誰しも幸福に生きたいと考えているはずです。

反出生主義という考え方は、人々から生きる活力を奪いますよね。

実にナンセンス、非建設的なアイディアだと思います。

このような思想を信奉するメリットが見出せません。

思想として正当か否かを議論する実益がありませんね。

視点を変えるべきだと思います。

そのような思想を抱いてしまう原因は何なのか。

心に問題があるのではないか。

それをどうすれば解決できるのか。

こういう方向で議論すべきだと考えます。

 

・A氏の再反論

反出生主義の考え方が正しく理解されれば、「生きる意欲を削ぐ」という問題は起こりません。

「新たな犠牲者を増やさない」よう尽力し、人類滅亡を実現する。

それこそが反出生主義の究極目的だと思います。

この崇高な使命に生きる態度は、むしろ至極前向きなものとさえ言えましょう。

今こそ、私達の手で、先祖代々続いてきた悲劇の連鎖を断ち切ろうではありませんか。

反出生主義は、私達の人生に、こうした「生きる意味」を与えてくれる点で、実にポジティブな思想なのです。

それと、誤解の無いように申し上げておきましょう。

反出生主義者の全員が全員、深刻な厭世観に囚われているというわけではありません。

実際、中には「人生は生きるには値するが始めるには値しない」と主張する人もいます。

こういった人などは、自分の人生をエンジョイすることまでは否定していません。

生まれてしまった以上は、せっかくだから人生を楽しもうというわけです。

また、おそらく多くの反出生主義者は「反出生主義を信奉するメリットがあるから信奉している」わけではありません。

「信奉せざるを得ないと感じるから信奉している」のです。宗教と同じです。

この点はさておくとして、反出生主義の普及にも一般的な意味で言う「メリット」はあります。

世の中には「結婚して子どもを作るのが当たり前」という固定観念に縛られている人があまりにも多い。

そして当たり前のようにその価値観を押し付けてくる。

正面切って反論しようものなら、変人か社会不適合者扱いされるのが関の山。

まるでファシズムです。

多様な価値観が認められる社会を実現するためにも、反出生主義の思想が広まることには大きな意義があります。

その意味において「メリット」があるのです。

最後に、「反出生主義という思想を抱いてしまう原因とその解決に目を向けるべき」というご指摘がありましたね。

たしかに、これによって、その人自身の「幸福」は達成されるかもしれません。

しかしながら、それが正義にかなうとは思えません。

「生きることの苦痛」という問題は、別人格である子どもが直面することになるのですから。

そもそも、「原因究明とその解決」という面倒な問題が起きること自体、私達が存在していることが原因となっています。

このような問題が発生する前に、根こそぎ出生を否定してしまう方が、解決策として端的で確実でしょう。

 

反論③:ただの自己満足だ

 

・Q氏の反論

人間は、何らかの形で「他者」に迷惑をかけないと、生きていくことが出来ません。

ここにいう「他者」というのは、人間に限りません。

動植物や微生物なども含みます。

他の人間という「他者」の力を借りなければ、私達は満足に生きていくことすら出来ません。

食事一つとっても、私達は毎回「他者」の命を頂戴しています。

虫や微生物などの「他者」の殺生も、私達が生きていく上で不可避なものでしょう。

私達は「他者」に迷惑をかけなければ生きていけない。

この前提には異存がないものと思います。

翻って、反出生主義は「まだ生まれていない子ども達に迷惑をかけてはいけない」という立場ですよね。

でも「迷惑をかけるのが誰なら良くて、誰ならダメだ」なんて明確な線引きはできないはずです。
あなた自身、生きている以上は誰か「他者」に迷惑をかけているんです。
なぜ新しく生まれてくる子ども達だけを特別扱いするのですか。

そのような線引きをすべき理由、論理的必然性なんて無いでしょう。

論理的一義的に線引きをすることができない。

つまりは、あなたの独り善がり、自己満足なんですよ。

他人に押し付けないでください。

 

・A氏の再反論

あなたの主張は、悪しき価値相対主義、思考停止に他なりません。

人間の理性には限界があります。

ある問題について論理的一義的な線引きが出来ないというのは、何も特別なことではありません。

しかし、私達は常に何らかの決断をして生きています。

「今日の昼は何を食べようか」といった些細な局面。

「この仕事を続けようか、それとも転職しようか」といったシリアスな局面。

あるいは「延命治療を続けるか、やめにするか」といったクリティカルな局面。

私達はあらゆる局面で何らかの決断をしなければ生きていけません。

多くの場合、そこに論理的一義的に導かれる正解などありません。

それでも、私達はベストな決断を目指して懸命に考えます。

時には議論もします。

そうやって決断し、自己の生を意味あるものとしているのです。

論理的一義的な線引きなど出来ないかもしれない。

それでも、どこに線を引くべきか、私達は真摯に考えて決断すべきなのです。

あなたの主張は

「論理的一義的な正解なんてないのだから、人それぞれで良いじゃないか」

「追究すべき真理や正義なんて無い」

という悪しき価値相対主義、単なる思考停止に他なりません。

子を生み出すという決断をするのなら、せめて相応の説得的理由を考えるべきです。

それが考えられないのなら

「子は生み出すもの」

「人間は子孫を残すもの」

といった発想は、無根拠な決めつけでしかありません。

 

反論④:「生まれてこなければ苦痛を受けずに済む」なんて証明されていない

 

・Q氏の反論

ひょっとしたら、生まれてこない人達は、私達が知らない別の世界で物凄く苦しんでいるかもしれません。

事によると、現世よりも酷い有り様かもしれない。

果たして今存在していない人に意識や魂があるのか。

あるとしたら苦しんでいるのか。

苦しんでいるとしたら現世の苦しみよりも酷いものなのか。

私達には知りようもありません。

それなのに

「生まれてこなければ苦痛を受けずに済む」

なんて当然視すべき理由はないでしょう。

そんなこと一切証明されていない。

ただの思い込み、決め付けですよね。

反出生主義はその前提からしてアヤフヤな主張だと言わざるを得ません。

「『悪魔の証明』(証明不可能、証明を求めるのが不当)だ」

なんて言わせませんよ。

反出生主義の極めて重要な前提なんですから。

この点について証明がなければ、正当な思想とはいえないと思います。

ただでさえ、世の中の一般的な考えとは逆行する思想なんですから。

この点の説明は最低限として手当てすべきでしょう。

 

・A氏の再反論

現代の科学的知見をもとに主義主張を展開するというのは、ごく一般的かつ合理的な態度だと思います。

「生まれてきていない人間に意識や魂があって、現世の苦痛よりも酷い苦痛を受けているかもしれない」

などというあなたの主張は、全くもって非科学的な詭弁でしかありません。

「生まれてきていない人間に意識や魂がある」

「苦痛を受けている」

「現世の苦痛よりも酷い苦痛」

というのは、いずれも抽象的な可能性にとどまる、根拠のないただの憶測に過ぎません。

与太話レベルの憶測を3つも積み重ねた主張であり、私には到底受け入れられません。

また、反出生主義が「世の中の一般的な考えとは逆行する思想」とのご指摘がありましたね。

その言葉、そっくりそのままお返ししましょう。

「生まれてきていない人間に意識や魂があって、現世の苦痛よりも酷い苦痛を受けている」

というアイディアこそ

「世の中の一般的な考えとは逆行する思想」です。

これこそ、出生推進派の方々が証明すべき事象だと思います。

また、仮にあなたの主張を前提としても

「生きていれば苦痛を味わう」のはほぼ確実ですが

「生まれてこない場合に苦痛を味わう」かどうかは全くの未知数です。

確実に味わうことになる苦痛を回避させるため、未知の可能性に賭けて「生み出さない」という選択を行うことは、十分理に適っていると考えます。

 

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いかがでしたでしょうか。

 

皆さんからも、反出生主義に対するユニークな反論、再反論など、是非是非妙案を頂けますと幸いです。

 

 

※この連載はフィクションです。実在の人物、団体及び事件等とは何ら関係がありません。