近年、SNS上で上記を自称する輩が、大勢跋扈(ばっこ)している。
私は「天才」を自称することがあるが、これはギャグである。
(ウケているか滑っているかはここでは問題ではない。)
自分が「選ばれしもの(笑)」でないことなど、痛いほど理解しているつもりだ。
※余談だが、そんな私にとって、「マトリックス・リローデッド」は超絶的にぶっ刺さる映画だった。
「お前、自分が特別な存在だと思ってるかもしれねぇけど、そんなことねぇからな(笑)」という痛快さ。
世界・宇宙の気の遠くなるような巨大さを感じさせてくれる。
ここ最近、私は「ホンモノ」に出会った。
彼こそは「ホンモノ」だ。
彼は、ある事柄においては、常人では到底及びもつかない、凄まじい能力を発揮する。
しかし、それ以外のことは、文字通り「何もできない」。
何も知らない人が彼と話してみても、「愚鈍な無能」としか思えないだろう。
「ホンモノ」は「キレモノ」などとは程遠い。
「私たちの何倍も頭が良い」といった「私たちの延長上」に位置するような存在ではない。
まさしく「異次元」、「異常」な存在なのである。
凡人ならば、誰しも「天才」に憧れることはあるだろう。
しかし、彼のような「ホンモノ」に出会うと、決して羨むような存在ではないと分かる。
むしろ、自分が「凡庸」に生まれついたことに対し、感謝の念が湧いてくる。
社会は、多数派の人間が住みやすいように設計されている。
例えば、左利きではなく、右利きの人が暮らしやすいように各種インフラ等が整備されている。
この社会は、「天才」ではなく「凡人」が多数派だ。
やはり「凡人」こそ住みやすい設計になっている。
今一度、自らの「凡庸」さに感謝し、日々の幸福を噛み締めることとしよう。
(少数派の苦しみに思いをはせながら・・・。)