弁護士の団堂八蜜です。
前回に続き、メタ音楽の話です。
「このような音ではない!」【メタ音楽①】 - 弁護士法人フィクショナル・公式ブログ(架空)
今回は
です。
1956年に発表されたザ・コテコテ・ロックンロールですね。
ビートルズがカバーしたバージョンの方が馴染み深いという人も多いかもしれません。
いま聴くと、ものすご~くステレオティピカルというか、実に典型的な教科書的ロックンロールです。
「ベートーヴェンをぶっ飛ばせ」の邦題でも知られています。
う~ん、ダサい!
これ、どんな曲かというと
「地元のDJに『ベートーヴェンをぶっ飛ばせ』のレコードをリクエストしたぜ!」
「あれはマジでイカす曲だよな!」
「チャイコフスキーにも教えてやれ!」
「さぁみんなでロックしようぜ!」
的な内容の歌です。
そう、この「ベートーヴェンをぶっ飛ばせ」という曲、
「『ベートーヴェンをぶっ飛ばせ』という曲について歌った曲」
なのだ。
歌の中に登場するこの「ベートーヴェンをぶっ飛ばせ」なる曲(劇中劇ならぬ歌中歌?)が、一体全体どんな曲なのか、具体的なことはまるでわからない。
歌詞を参考にする限り、どうやら「最高に☆イカかした☆ロックな曲」ということらしい。そのくらいしかわからない。
ここで歌われる「ベートーヴェン」だとか「チャイコフスキー」は、権威として機能しているクラシック音楽や、その文化を享受するブルジョア連中を象徴するものと考えられる。
要はこの曲、クラシック音楽や権威に対して「ぶっ飛ばしてやる」と歌った曲なのだ。
この「既存の音楽やら何やらを音楽の中で否定してみせる」というコンセプトは、他ならぬベートーヴェン自身、第9で実践したことである。
ただ、チャック・ベリーのこのやり口、ベートーヴェンが第9で見せた手法に比べると、一見してずいぶん素朴で陳腐なやり方に思える。
ベートーヴェンは、歌入り管弦楽による「歓喜の歌」を実現するにあたり、約50分に及ぶ第1~第3楽章を前置きしてから、純粋器楽の枠組みの中でこれらを否定し、純粋器楽による「歓喜の歌」を導出・変奏した後、ようやくバリトン独唱が登場して、純粋器楽をも否定してしまうという、非常に手の込んだ手法を用いていた。
対するに、チャック・ベリーの方はというと、大変にお気楽どストレートである。
ただ単に「『ベートーヴェンをぶっ飛ばせ』って曲があるんだ!こいつはイカすぜ!」と歌っているだけなのだ。
もっと上手いやり方として、たとえば、クラシックならではの作曲手法・技法を用いて、最高にポップな曲、破壊的な曲、下品で退廃的な曲を作るという「当てつけ」も可能だったのではないか。
ベタなとこだとフーガとか。
あるいは、「トムとジェリー」の劇伴作曲家が、当時最先端だった十二音技法をギャグシーンで使用したような試みは、彼にだってやろうと思えばできたのではないか。
もっといえば、そもそも論として、わざわざ「ベートーヴェンをぶっ飛ばせ」だなんて言う必要がないとも思える。
単に「最高にイカしたロック」を歌えば、それで事足りるはずだ。
良い曲さえ書けば、大衆はそれに付いてくる。
あえてベートーヴェン(権威的なるものやブルジョア)をこき下ろす必要など全くない。
ところが、少し考えてみると、ベートーヴェンとチャック・ベリーとの間にちょっとした親和性のようなものが見出せるような気がしてくるのだ。バルトーク然り。
まだ続きます。
※ところで、本人がどこまで意識していたのかわからんけども
チャック・ベリーって
交響曲第9番で第1〜第3楽章
を否定して「歓喜の主題」を変奏していった純粋器楽
を歌でもってさらに否定した第4楽章
を作り上げたベートーヴェン
を否定する「ロール・オーバー・ベートーヴェン」
をDJにリクエストする様子
を描いた「ロール・オーバー・ベートーヴェン」
を作った男
なんだよね。
どないやねん!
※この連載はフィクションです。実在の人物、団体及び事件等とは何ら関係がありません。