弁護士法人フィクショナル・公式ブログ(架空)

架空の国の架空の弁護士によるブログ

オーケストラ指揮者のピーク

弁護士の団堂八蜜です。

 

「弁護士の事件処理能力のピークっていつ?」

というのが同業者の間で話題になることがあります。

 

私の周りでは「概ね40代」という意見が多いようです。

 

一般的に、頭のキレや根気、体力は段々と衰えていきます。

他方で、経験と人脈の強みは年々蓄積していきます。

これらのバランスが丁度良い塩梅になるのが、大体40代ということのようです。

 

他の職業はどうなんでしょう。

 

私が大変気になるのは

「オーケストラの指揮者のピークっていつ?」

という疑問です。

 

指揮者というのは中々特殊な職業だと思います。

 

まず、膨大なオーケストラ譜を読み解き、演奏を整えていくわけですから、「耳の良さ」というのは必須スキルです。

例えば、マーラー交響曲第8番では、演奏者数が約850人以上にもなります。

これだけの人数の演奏家達が弾く各パートを聴き分け、的確な指示を行うというのは、並大抵の才能では務まりません。

 

「耳の良さ」だけではありません。

様々なスキルが要求されますが、中でも「カリスマ性」は大変に重要な要素と考えられます。

それはそうでしょう。

プロのオーケストラというのは、一人一人が大変に才能豊かで音楽的な経験値も高い「やり手集団」です。

それも、「音楽で飯を食っていこう」という信念を、単なる夢とか妄想ではなく、実際に貫いてしまう「変わり者集団」でもあります。

ちょっと「耳が良い」だけのオジさん・オバさんが、偉そうに前で棒を振ったところで、簡単に信頼してくれるわけがありません。

「この指揮者のやりたい音楽をやろう」

「この指揮者のために全力で演奏しよう」

こう思ってもらうためには、高いカリスマ性が必要となるのです。

 

さてここで先程の疑問に戻ります。

「オーケストラの指揮者のピークっていつ?」

 

昔からよく言われているのは

「40代や50代までは青二才」

「60代からようやく大人」

「老いて益々円熟の境地に達していく」

「巨匠ならではのオーラが増していく」

といった類の言説です。

 

たしかに、年齢層の幅広いオーケストラを率いる「カリスマ性」を備えるとなると、一日の長という要素は無視できないようにも思えます。

 

ただ、私はこのステレオティピカルな見解について、疑問視しております。

「40〜50代くらいでピークを迎える人が結構多い」

のではないかと思うんです。

 

以下、早熟タイプ(壮年期が全盛期)老成タイプ(晩年が全盛期)の指揮者を列挙して検討してみます。

※全盛期の表記は、一般的な世評を参考に記載しています(明確なソースは無し。)。

 

・早熟タイプ

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886年〜1954年)

享年:68歳

全盛期:40〜50代頃

戦前から戦後にかけて、世界最高のオーケストラであるベルリンフィルの指揮者を務めた。

堅牢な構築性と自由闊達な表現を両立させた独自の芸風。

あまりに個性的なその演奏は、楽譜のガン無視、もとい深読みのなせる業か。

日本のオールドファンに熱心な崇拝者が多い。

残念ながら全盛期の演奏は録音状態が良くない。

古いからというのもあるが、本人が録音環境に無頓着だったことも影響しているか。

 

エフゲニー・ムラヴィンスキー(1903年〜1988年)

享年:84歳

全盛期:50代後半〜60代前半頃

旧ソ連時代のレニングラードフィルの指揮者を長年務めた。

現代の洗練されたオーケストラに慣れた耳で聴くと、彼のサウンドはいささか鋭角的に過ぎ、個々のオケメンバーのテクにも粗を感じてしまうかもしれない。

しかし、全盛期の彼の演奏を聴くと、その鬼気迫る表現の危うさ、一点に向かって凝集し突き刺してくるようなエネルギーに、只々圧倒されてしまう。

チャイコフスキー交響曲演奏で彼を超える者は今後も現れないのではなかろうか。

 

ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908年〜1989年)

享年:81歳

全盛期:50〜60代前半頃

フルトヴェングラーの後任としてベルリンフィルに君臨。

ヨーロッパの主要楽団のポストを総なめし「帝王」と呼ばれた。イケメン。

前任者の重厚ドイツサウンドを華美にモダナイズした音と、前任者のライバルであるトスカニーニのようにザッハリヒな運び(楽譜の指示は一応なるべく守り、音響効果や音の躍動感を前面に押し出すスタンス)が特徴。

この人を批判するのが「通」と言われたのも今は昔。

なんだかんだ素晴らしい指揮者だと思う。

 

レナード・バーンスタイン(1918年〜1990年)

享年:72歳

全盛期:40代〜50代頃

アメリカ生まれの指揮者として世界的に成功した第一号にして最高峰。

ウェストサイドストーリーの作曲者でもある。

ニューヨークフィルの常任指揮者を務めていた頃のヤンキー気質全開、はち切れんほどの表現欲をぶちまけた熱い演奏は、たとえようもなく素晴らしい。

後に、フリーランスの指揮者となり、ウィーンフィルなどの西欧保守本流オケを頻繁に振るようになった。その頃の演奏は、概ね重厚でいかにも巨匠って感じの芸風だ。この時代の演奏も、たまに素晴らしいのがある。

 

ピエール・ブーレーズ(1925年〜2016年)

享年:90歳

全盛期:40代頃

本業は作曲家。

前衛音楽全盛期の作曲界の牽引者である。

1940年代後半~1960年代前半(20代~30代)くらいにかけてが、作曲家としての全盛期。

作曲家の藤倉大(1977〜)が某音大に在籍していた際、一学期分の授業が丸々ブーレーズに関するものだったというくらいだから、その影響力たるや伊達じゃない。

作曲家として特に崇拝された時期においては、オケメンバー達からも本当に恐れられていたのだと思う。

その頃に彼が指揮者として遺した演奏は、極度の緊張感と高度の理知性がギチギチと軋み合いながら同居しているのが特徴だ。

もうこのタイプの演奏を聴かせてくれる指揮者は二度と現れないんではなかろうか。

その後、実はそんなに怖くない人だと判明したのか、あるいは丸くなったのか、1980年代以降の演奏は、嘘みたいに大人しくなった。

その変わりようたるや、暴力革命を主張していた危険で頭脳明晰なカリスマ青年が、ただの教養に富んだ好々爺に落ちぶれてしまったかのようだ。

 

※その他、早熟型に分類されそうな指揮者としては、ロリン・マゼールダニエル・バレンボイムなどが挙げられそうです。

ただ、私自身、彼らの演奏に関しては詳しくないので、ここでは割愛。

 

・老成タイプ

カール・シューリヒト(1880年〜1967年)

享年:86歳

全盛期:70代後半〜

晩年に名門ウィーンフィルと度々共演し、数多くの名演を遺してくれた。

口さがないウィーンフィルのメンバーをして「偉大な老紳士」と言わしめた大巨匠。

毒舌で知られるあの名指揮者チェリビダッケが教えを請うた程の実力者である。

なぜか若い頃の経歴は今一つパッとしない。

端正にして明晰、格調高く颯爽とした演奏が特徴で、自然な説得力が持ち味。絵でいえば油絵ではなく水彩画、麺類でいえば家系ラーメンではなく高級蕎麦みたいな音楽だ。

意地悪な言い方をすると、特徴が弱く、一般聴衆を熱狂させるようなスターとは言い難いタイプである。

超一流オケであるウィーンフィルとの演奏はもちろん、パリ・オペラ座管弦楽団のような、言っちゃなんだが二流の団体との演奏も大変魅力的。ウィーンフィルの特徴は、独特の艶っぽい音と表現。対するに、シューリヒトが振るパリ・オペラ座管弦楽団は、淡白かつクリアなサウンドで、これはこれで何とも不思議な魅力がある。

 

オットー・クレンペラー(1885年〜1973年)

享年:88歳

全盛期:70代後半〜

珍エピソードに事欠かない超絶奇人指揮者。

躁鬱病、脳腫瘍、大火傷、頭部強打、背骨骨折、腰骨の複雑骨折など、幾多の危機を経るも、その度に不死鳥のごとく蘇った(なお、病気や怪我自体は珍エピソードの範疇には入りません。この人はもっとアレな人です。詳細はまた別の機会にでも。)。

晩年には殆ど身体の自由が利かなくなっており、もはやオケドライブ能力など無くなっていたはずだが、なぜか演奏自体は大変に素晴らしいものばかりだった。

オケメンバーが指揮者を心から尊敬して本気で演奏していたからだろう。

若い頃はかなり速いテンポ、晩年はかなり遅いテンポなのが特徴的。

音色の美しさや、情緒的な表現で聴かせるというより、各楽器間のバランスや、全体の構築性を重視する職人タイプの指揮者だった。

笑ってる写真が一つもない。多分。

 

朝比奈隆(1908年〜2001年)

享年:93歳

全盛期:80代〜

サウンドが特徴的な気がする。この人が振ると、オーケストラからは、独特の明るい、それでいて重たく、生命力豊かな音が鳴り響く。小器用さは皆無だが、スケール感たっぷりの演奏を聴かせてくれた。晩年の演奏会やリハの映像を見ると、画面越しからも強烈なオーラを感じてしまう。

インタビュアーから「米寿を迎えたご感想は?」と尋ねられた際には、還暦、古希、傘寿等の祝い歳についての説明を開始。肝心な感想については一言も話さなかった。

この人も、シューリヒトや後述のヴァントと同じく、ブルックナーを得意としていた。晩年にブルックナー交響曲第8番を舞台にかけると、泣いて動けなくなる聴衆が続出したほどだ。朝比奈翁恐るべし(そもそもブルックナー交響曲第8番自体が西洋音楽史上「どえらい」曲だというのもありますけども)。

 

ギュンター・ヴァント(1912年〜2002年)

享年:90歳

全盛期:80代〜

ねちっこいまでの緻密さ、透明な音色と、スケール広大な重厚感が特徴。特に晩年の演奏のスケール感、オーラは神々しいものがある。

かなり気難しいオヤジで知られる。ウィーンフィルと共演した際のリハでは、あまりの細かい注文に、オケメンバーも思わず「私たちは重箱の隅をつつくようなことはしない」と発言。以降、両者が共演することは二度となかった。

指揮者クナッパーツブッシュの話をすると、「私の目の前でその名前を二度と口にするな」と怒りを露わにしたことも。自身が崇拝してやまないブルックナー交響曲の演奏で、改竄版の楽譜を使っていたことが気に入らなかったのだろう。

YouTubeには彼が最晩年にブルックナー交響曲第8番(先の朝比奈翁と同じ曲!)を指揮した映像があるのだが、これが凄い。普通、クラシックコンサートでは、大きな音でハッキリと終わるタイプの曲の場合、曲が終わるとすぐに拍手が始まる。速攻で「ブラボー!」と掛け声をする人もいる(私が最も忌み嫌うタイプの人間だ)。ところが、このヴァントの演奏会はまるで違う。はっきりと曲が終わって10秒程経っても、誰一人として拍手をし始めない。聴衆達が完全に飲まれてしまっているのだ。会場全体が異様な空気に包まれ、ただただ重い沈黙が続く。一度で良いからこんなコンサートに立ち会ってみたいものだ。

 

※その他、老成型に分類されそうな指揮者としては、ジョン・バルビローリ、ジョルジュ・プレートルなどが挙げられそうです。

ただ、私自身、彼らの演奏に関しては詳しくないので、ここでは割愛。

 

・早熟タイプと老成タイプの比較

クラシックファンの方はお気付きでしょうか?

 

早熟タイプ若い頃からスターとして注目されていた人達です。

 

他方、老成タイプ若い頃の経歴が比較的地味ですね。

晩年に超メジャーオーケストラを頻繁に指揮するようになった人達が多い。

若年期、壮年期の実力がそもそも十分には知られていないのです。

 

「老成タイプも実のところは壮年期が全盛期だったんじゃないか」

「結局大体は40〜50代くらいでピークを迎えた人が多いんじゃないか」

という仮説が成り立ち得るように思います。

 

「知る人ぞ知る名指揮者」だったはずが、大人の事情やらキャッチコピーやら何やらで、晩年に至って偶々人気に火がついて、チヤホヤされるようになっただけではないか。

 

特に朝比奈隆。彼に対する世評はどうも「音大や芸大を出ておらず素人臭い指揮ぶり」「元々は国内ローカルでのみ通用していた二流指揮者」「大器晩成」というイメージがやたら強いように思います。しかし、1956年〜1958年、彼が50歳くらいの頃に、ベルリンフィル定期演奏会に三年連続登壇していていたことを忘れてはなりません。日本のマスコミは、2011年に佐渡裕が一回客演しただけで、あんなに煩く話題にしてましたけども(残念ながら、あれ以降一度も呼ばれていませんね。)。1950年代当時、クラシック音楽界における東洋人に対する偏見は今より遥かに酷かったことでしょう。そんな中、世界最高のオケが三年連続で日本人の朝比奈隆を呼び寄せているのです。当時の彼の実力の高さは推して知るべしでしょう。

 

クレンペラーも、若い頃は重厚感が乏しいけれど、結構職人肌で渋い演奏を聴かせてくれます。

 

シューリヒトも、若い頃は録音が古いだけで、よくよく聴いてみると、早期から素晴らしい演奏を遺してくれています。 

 

ただヴァントは例外な気もします。

彼の十八番であるブルックナーは、80年代以前よりも90年代以降の演奏の方が素晴らしいように感じられますから。

 

・・・・・・

 

以上、いささか雑な推論でしたが

「指揮者は晩年に向かうにしたがって益々円熟の境地に向かっていく」

という言説は眉唾ものだというのが私の見解です。

 

そういえば、早熟にも老成にも属さない、特殊タイプの大指揮者としてフェレンツ・フリッチャイがいますね。この人に関する話は気が向いた時にでもまた書きたいと思います。

 

 

 ※この連載はフィクションです。実在の人物、団体及び事件等とは何ら関係がありません。