8月14日、イギリス人ギタリストのジュリアン・ブリーム氏が亡くなった(享年87歳)。
20世紀を代表する「レジェンド級クラシックギタリスト枠」の最後の星とでも言うべき、偉大な人だった。
私自身、少しばかりクラシックギターを嗜む(自分で演奏する)。
だが、いわゆるクラシックギタリストの演奏というものを、好き好んで聴いたりはしない。
だって、たいてい面白くないから笑
ブリームは違った。
ギタリストと呼ばれる連中のなかで、彼こそは数少ない真の音楽家だった。
「ギタリスト」ではなく、徹頭徹尾「音楽家」だったのだ。
凡庸なギタリストというのは、とにかくギターが大好きだ。
ギターを上手く弾こうとする。
ギターを達者に聴かせようとする。
意地悪な言い方をすれば、彼らにとって、楽曲だとか音楽というものは、ギターを弾くための「口実」、「フォーマット」でしかない。
そこにあるのは「ギタリストでござい」というエゴであり、あまり褒められたものでなない。
ブリームは違った。
彼はギターではなく音楽そのものにしか興味がなかった。
「ギターを上手そうに弾こう」などという低次元な発想は微塵もない。
彼の音は汚かった。
アマチュアの方がよっぽど綺麗な音を出せるくらいだ。
だが、彼の紡ぎ出す音楽は誰よりもニュアンス豊かで途方もなく魅惑的だった。
彼は「作曲家の忠実なるしもべ」というわけでもなかった。
作曲者の指定が気に入らなければ、平気で楽譜を変更しまくったのだ。
また、当時マイナーだったリュートにも手を出し、ギター界における古楽復興の祖と評価される一方、その奏法・楽曲解釈は至って自由奔放。時代考証無視の破茶滅茶なものだった。
しかし、これがまた素晴らしかったのだ。
「我、音楽家也」というエゴ丸出しである。
まこと天晴れなエゴではないか。
彼は、ギターという楽器にも、また、作曲家の真意というものにも、まるで無頓着だった。
ただただ、音楽が好きだったのだ。
そして、私もそんな彼の音楽が大好きだった。
素敵な音楽をありがとうございました。
どうか安らかに。