弁護士法人フィクショナル・公式ブログ(架空)

架空の国の架空の弁護士によるブログ

スヌーピーの名言

"配られたカードで勝負するっきゃあないのさ。それがどういう意味であれ。"

by スヌーピー

 

 

宿題代行サービスの話題を聞いて、真っ先に思い出した言葉だ。

 

学校の宿題や課題等を、プロの業者にお金を支払い、代わりに仕上げてもらう宿題代行サービス。

 

色々と賛否両論あるようだが、結局のところ一番の問題の核心は、家庭間の教育格差だ。

 

何故お金を払ってまで宿題代行サービスを利用するかといえば、子どもの時間と親の時間を買うためだ。

 

読書感想文だとか、書き取り練習だとか、そういう「無駄な作業時間」を短縮する。

 

そうやって浮いた時間を、受験勉強だったり、芸事だったり、スポーツだったりの修練にあてさせる。


あるいは、最近の子供は習い事やら何やらで只でさえ忙しいから、その分、遊興・休憩時間や睡眠時間を確保してあげる。

 

親の側にしても、自分が宿題をやってあげるのではなく、お金を払ってでも代行業者に丸投げした方が、時給換算でお得だということであれば、投げない理由はない(倫理的にどうとか、そういうのはさておき)。


そうしてできた時間で、代行サービス料以上のお金を稼いできたり、子どものための諸々の情報収集に時間を割いたりするわけだ。

 

これって、結局は家庭間の教育格差(=手持ちカードの格差)という、実にありふれた(しかし重大な)問題でしかない。

 

お金のある家庭の方が、様々な内容、質、量の教育を提供できる、選択の幅(=手持ちカードの種類・数)があるということだ。

 

宿題の内容が適切だと思えば、子供にやらせれば良いし、反対に、無用の長物だと判断すれば、バッサリと切り捨てて、他のタスクを与えることだってできる。

 

(もちろん、実際に子どもに対して最良の教育を提供できるかどうかとか、子どもが立派な人間に成長するかどうかは、また別の問題。あくまで、選択の幅があるということでしかない。恵まれた家庭環境にもかかわらず、どうしようもない奴が出来上がることだって十分にあり得る。スヌーピー流に言えば「カードの切り方を間違えた」といったところだろうか。あんまり人生というものを、成功・失敗とか勝ち・負けみたいな、そういう窮屈な基準で判断したくないけど。)。

 


弁護士になった時、こんなことを考えたものだ。


「恵まれた環境にあったからこそ、自分は弁護士になることができた。」


「環境に恵まれなかったがために、苦境に置かれている人も大勢いるはずだ。」


「自分はこれから、そんな人達と関わっていくこともあるだろう。」


「また、ことによっては、その人達からお金を頂いて仕事をすることさえあるだろう。」


「自分が受けた恩恵を、世の中に還元していかなければ、きっとバチが当たるぞ。」

 

 

しかし、中々どうして、理想と現実は違いますね。
そんなに首尾良く、滅私奉公よろしく仕事しているかといえば、全くもってそんなことはありません。
私はそれほど立派な了見の人間ではなかった。

 

私には、自分のカードをおいそれと他人に配れるような度量はない。

 

かといって、「どんな手を打ったら良いか」と相談にきた人のカードを見て、必ず最善手をアドバイスできているかといえば、そういうわけでもない。

 

まだまだ精進が必要だ。

 

 

"配られたカードで勝負するっきゃあないのさ。それがどういう意味であれ。"

by スヌーピー