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惹かれるモノと生み出すモノ②

先日のブログ記事で、「惹かれる音楽」が「生み出す音楽」と似ている作曲家として、松村禎三吉松隆の師弟を取り上げたことがあった。

 

「惹かれる音楽」と「生み出す音楽」のタイプが全く異なる作曲家もいる。

 

私が思い浮かべるのは武満徹フランク・ザッパだ。

 

武満は、15歳頃に宿舎で耳にしたシャンソン(フランスの歌謡曲・流行歌)に衝撃を受け、音楽家を志したという。

しかし、彼はポピュラー音楽の道には進まず、前衛・実験音楽を志向した。

 

他方、ザッパは、14歳頃からヴァレーズ、ストラヴィンスキーウェーベルンらの(当時としては)前衛的な音楽を夢中で聴き漁ったという。

しかし、彼もやはり前衛・実験音楽には進まず、あくまでポピュラー音楽の文脈で作品を残した。

 

彼らが活躍し始めた1950〜60年代は、クラシック系・ポピュラー系音楽の双方が「地殻変動」を起こしていた時代である。

時代の潮流が、彼らの複雑で屈折した音楽的アイデンティティを形成したのかもしれない。

 

興味深いのは、2人ともその音楽的志向にフランス的な性格を感じさせることだ。

 

武満の好んだシャンソンはフランスの歌謡曲であり、彼の管弦楽法のテイストもフランス趣味だ。

 

また、ザッパが好んだヴァレーズはフランス生まれで、ストラヴィンスキーもフランス的な作品が多い。ザッパの作品は「悪趣味」と評されがちだが、批評精神に富んだ軽妙洒脱な様などは、フランス的といえはしないだろうか(やや無理矢理か…)。

 

また、2人とも「惹かれる音楽」への憧れが相当強かったと見える。

 

武満は井上陽水らポップミュージシャンと殊更仲良くなろうとした(当の陽水は、武満を友人としては認めながらも、その作品については辛辣だった)。

また、彼は「死んだ男の残したものは」等の駄作歌謡曲も残している。あの「世界のタケミツ」の作品とはとても信じたくないレベルの代物だ。「歌」や旋律を書くのはどうも苦手だったらしい。

 

他方、ザッパは「現代音楽の法王」ことブーレーズを崇拝し、コンタクトを試み、自身の作品を演奏させることに成功している。

こうして残されたアルバム「ザ・パーフェクト・ストレンジャー」は、ザッパファンからはキワモノ扱いされ、現代音楽ファンからは完全に黙殺されてしまっている。

 

しかしながら、「惹かれる音楽」に憧れ続け、「素朴な歌」を求めた武満も、「不条理」を求めたザッパも、晩年には素敵な作品を残している。

 

これらの作品を聴くと、私は何故か胸を締め付けられるような思いがする。

 

武満徹ヒロシマという名の少年」

 

フランク・ザッパ「None Of The Above」