弁護士の団堂八蜜です。
皆さん「プルチネルラ」という音楽作品をご存知でしょうか?
(からくりサーカスじゃないよ)
大作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882年6月17日 - 1971年4月6日)が1920年頃に「作曲」したバレエ音楽です。
ストラヴィンスキーといえば
不協和音と変拍子の嵐で、初演時には暴動による流血沙汰にまでなった
「春の祭典」で名高い作曲家です。
そんなストラヴィンスキーが書いた「プルチネルラ」
この曲を初めて聴いた時、私は大変に面食らったものです。
実に端正で古典的な、何とも可愛らしい作品でしたので。
それもそのはず。
この作品、バロック時代のペルゴレージやガロといった、主にイタリアの作曲家による雑多な作品から、いくつかピックアップして、手を加え 、物語の筋に沿うように並べただけの代物なんです。
法的にいえば、古い音楽作品の「二次的著作物」(著作権法2条1項11号)。
紛れもない編曲作品です。
ところがこの作品、一般的には
ストラヴィンスキー「編」ではなく
ストラヴィンスキー「作」と言われます。
なぜか。
身も蓋もないことを言うと
・「曲の出処が雑多過ぎて、『ストラヴィンスキー編〇〇』などという特定が難しい、タイトルが長くなり過ぎるから」
・「委嘱されたバレエ作品名が『プルチネルラ』と決まっていて、元ネタにそんなタイトルの曲は存在しないから」
という理由が挙げられるでしょう。
しかしそれだけではないと思う。
実質的な理由は何か?
・「元ネタが原形をとどめていない程の改変ぶりだから」か?
これは不正解だ。
ストラヴィンスキーは、元ネタのメロディ、ハーモニー、伴奏やバス等の曲の根幹については、ほとんど手を加えていないから。
これについては、元ネタ曲を集めたCDなどと聴き比べれば、あるいは楽譜を見比べれば、一目(一聴)瞭然だ。
では、ストラヴィンスキー「作」と言わしめる所以は一体何なのか?
答えとしては
・「元ネタを最大限に活かしながら、『プルチネルラ』という全くオリジナルな世界を表現してしまったセンスへの敬意」
ということではないかと思う。
さる著名な指揮者の言葉で
「音楽は、構成要素となっている音の集合、それ以上のものだ」
というものがあります。
(「あぁシナジーのことね」などと脊髄反射を起こした社畜乙な御仁は、是非「プルチネルラ」を聴いて癒されてください。)
「プルチネルラ」は、構成する一つ一つの作品を取り上げて検討すれば、元ネタ曲に「隠し味」をつけて、曲間にツナギのパッセージを挟んだだけのものに過ぎません。
それでも、作品を全体として眺めたとき
「これは『プルチネルラ』だ!」
としか言いようがないものになっているのです。
各曲のチョイス、配置、移調(キーの変更)の巧みさ、楽器の取り合わせやハーモニー、リズムのちょっとした(しかしバロック時代には絶対にあり得ないような手法による)手直しの妙。
これら各要素が相まって、「プルチネルラ」という唯一無二の世界を作り出すことに成功しているのだ。
まこと不思議な聴体験という他ない。
この「倒錯したモダニズム」の世界を、是非一度皆さんも鑑賞されてみてください。
※この連載はフィクションです。実在の人物、団体及び事件等とは何ら関係がありません。