「セクシー田中さん」原作者の死を受け、関係者への(道義的な)責任追及・論難をたしなめようとする「謎の勢力」が目につく。
彼ら「謎の勢力」にしてみれば、本件は他人事ではない。
「原作クラッシャー」として、いつか自分達も「吊し上げ」に遭うリスクがあるからだ。
今さら気がついたらしい。
たしかに、名誉毀損や脅迫等の違法行為は「ダメ、ゼッタイ!」だ。
しかし、テレビという(準)公的なメディアに関わる人物・その行状について、意見論評することは、何ら控えるべきことではない。
むしろ、色々と意見論評することこそ、今般の悲劇の再発防止につながる。
原作者の投稿や一連の経緯に鑑みれば、日テレの制作陣が、原作者の意向を正しく脚本家に伝達しなかった疑いは濃厚だ。
担当者レベルの不手際かもしれない。
しかし、統括する立場にあるチーフプロデューサー三上絵里子や上層部は、本件の経緯に関し、包み隠さず誠意を持って説明する社会的責任があるというべきだ。
三上絵里子といえば、あの悪名高いテレビドラマ「おせん」のプロデューサーとしても名を連ねている。
日本テレビ系でテレビドラマ化された際、原作者のきくち氏はそのあまりの出来の悪さにショックを受け、一時活動を休止したことを後に語っている(作者にとって作品(ここでは「おせん」)は子供でありその子供が嫁に行き、幸せになれると思っていたらそれが実は身売りだった。と述べている。)。
今一度、テレビ番組制作関係者は、番組制作倫理と向き合う機会を持つべきだ。
脚本家の相沢友子もしかり。
「原作に忠実に」という原作者の要望は、相沢友子には正しく伝わっていなかった可能性もある。
しかし、例のインスタの投稿は、作品の「創造主」である原作者へのリスペクトも品位も著しく欠いたものといわざるを得ない。
また、あの投稿が発端となって今般の悲劇が起こったことは間違いない。
法的責任(法的因果関係)はないとしても、「一人の人間」として、何らかの説明責任を果たすのが筋ではないか。
テレビ関係者が黙殺しようとも、決してこの火を絶やしてはならない。