・法学について
代表的なところとしては、中森喜彦先生もおっしゃっていますね。
「法学部は才能のない奴が集まるところ」
「法学者は天才である必要はない」
とかなんとかおっしゃっていたように思う。
法学とは何たるかを定義するのは難しい。
しかし、ひとまず、法学の目的については、理想的な法制度や法理論の構築、法律実務への貢献と考えておけば、そうおかしくはないだろう。
法制度や法理論は誰のためにあるか。
実社会で生活する人のためである。
実社会で生活する人の大半は「凡人」である。
大半の「凡人」が使うことを想定されたツールが、一部の「天才」にしか理解できないとすれば、そのツール自体が出来損ないということでしかない。
理想的な法制度や法理論は、「凡人」が使いこなせるものでなければならない。
有用な法制度や法理論は、「天才」でなくとも構築・理解可能なものである。
最先端の数学や理論物理のような難解さ・奇想天外さなど、法学においては無用の長物でしかない。
法学において「天才」性は不要であるばかりか、有害であるとすらいえる。
・法律実務
いわんや実務においてをや。
もちろん、法律実務の世界には、べらぼうに「賢い」人が掃いて捨てるほどいる。
しかし、べらぼうに「賢い」=「天才」ということではない。
法律実務において必要なのは、(知的な側面に限定していえば)少しばかり知識・経験があり、頭の回転が速く、論理的に考えることに慣れていることだ。
難解・複雑・抽象的な思考を深めていくことや、斬新・奇抜・創造的な発想をする能力などは、全くと言って良いほど不要である。
自分を「天才」と自覚しており、その「天才」性を遺憾なく発揮したいと考えている人は、法学・法律の世界になど来てはいけない。悪いことは言わない。
自分を「凡才」と自覚しており、手に職もない、見てくれが綺麗なわけでもない、やりたいことも特にないという人は、是非とも法学・法律の世界に来るべきだ。少なくとも野垂れ死にすることはない。