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雑記:霊感商法の法的取扱い

 

霊感商法の法的取扱いというのは、厄介な問題を含んでいる。

 

何しろ、平成30年に消費者契約法が改正されるまで、明確な規制・ルールは皆無であった。

 

従前は、もっと一般的なルール、具体的には公序良俗違反(民法90条)による契約無効の主張や、恐喝罪(刑法249条)や逮捕・監禁罪(刑法220条)等の規制に委ねざるを得なかったのである。

 

改正で設けられた消契法の規定も、十分とは言い難い。

 

その規定というのは、契約にあたり「・・・霊感その他の合理的に実証することが困難な特別な能力による知見として、そのままでは当該消費者に重大な不利益を与える事態が生ずる旨を示してその不安をあおり、当該消費者契約を締結することにより確実にその重大な不利益を回避することができる旨を告げること」等を満たすと、契約を取り消すことができるというものだ(法4条3項6号)。

 

しかし、告知される不利益が現世利益的でないもの、全くもって霊的なもの(例:祖先の魂が地獄の責め苦を受けている等)の場合、法的に「重大な不利益」と評価できるのだろうか?

 

また、売主が「この壺を買えば、不利益を回避できる可能性は非常に高くなる。実際に回避できるかは、その後の信心次第である(まだまだ買ってもらうよ)。」などと説明してきた場合、消契法規定の「確実にその重大な不利益を回避することができる旨を告げる」よりも悪質だと思うが、この場合は取消対象にはならないことになる。

 

さらに、宗教法人ではなく、末端の信者個人が売り子として活動する(その後、売り子が売上金を「任意」に法人に納める)場合、「事業者」による契約ではないから、消契法の適用対象にはならない。

 

こうした問題もあってか、霊感商法と戦う弁護士諸氏らは、法規制の拡充を提唱している(霊感商法特定商取引法の規制対象にしろ等々)。

 

しかし、どんなに法規制の拡充を図ろうが、いたちごっこの様相を呈するのが関の山ではなかろうか(それこそ「オレオレ詐欺」をはじめとする特殊詐欺の取り締まりがそうであるように)。

 

そもそも論として、私見では、上記消契法の規定もそうだが、何らかの特別法で霊感商法を規制すること自体、理論的に非常に無理がある(民法・刑法規定の一般原則による対応で必要十分である)と考える。

 

霊感商法による契約も、私法上の契約にあたることから、憲法上の自己決定権(及び派生原理である契約自由の原則)が妥当する。

 

日本国憲法をはじめとする近代憲法は、「不合理な自己決定を行う自由」を許容している。

 

「不合理な自己決定」が担保されているからこそ、多様な価値観に基づく国民各自の言動と、社会における文化・科学技術等の多様な発展が望める。

 

その意味で、「不合理な自己決定」を担保することは、当該個人のみならず、国家の構成員全体にとっても、長い目で見れば利益であると考えられる。

 

健全な国家・社会にとって、「不合理な自己決定」の担保は不可欠の要請なのである。

 

当然、「不合理な自己決定」を行う基礎・前提として、行為能力・意思能力・意思表示に瑕疵がないこと・公序良俗性等は必要となる。

 

しかし、こうした民法上の要請を超えて、霊感商法についてだけ何らかの特別なルールを設けるべきとする理論的根拠は甚だ不明瞭である。

 

少なくとも、特定商取引法や金商法等の規制がなじむような性質のものではない。

 

すなわち、これらの法律は「お前ら国民は難しいことを十分に理解できずに、業者に食い物にされることがあるから、救ってやるよ」という考え方に基づく「国のお節介」である。

 

「不合理な自己決定」を行わせるにしても、「不合理」なことを本人が十分に理解していることが必要条件になるという考え方だ。

 

しかし、霊感商法においては、どんな経緯でどんな意思決定を行うにしても、理性的に見るならば、およそ全てが当然に「不合理」であり、自己決定を行う本人も当然そんなことは認識しているはずではないか。

 

100万円で先祖救済の壺を買うのが「不合理」であるならば、初詣で商売繁盛を企図して100円の御賽銭を投げ入れることだって、同様に十分「不合理」なことである。

 

当該行為者が、当該行為を「不合理」であることを認識しているという点、または、当該行為が「不合理」との評価を受ける基礎となる事実関係を認識しているという点で、両者を区別すべき事情は何ら見当たらない。

 

パターナリスティックな制約(国家によるお節介)を許容するためには、相応の根拠が必要となるが、制約すべき霊感商法とそうでないもの(例えば上述した100円の御賽銭等々)を、明確な線引きなどできるのであろうか?

 

何らかの組織・個人に対する多額の寄付一般と、悪質であり規制すべきとする霊感商法との間に、何らかの線引きを行うことは可能なのだろうか?

 

必要なのは法規制の拡充ではない。

 

「宗教には入るな、自分で作れ。」

 

この格言(私が考えた)をもっと世に広めることだ。

 

いや、皮肉でも何でもなく。