走行中の電車内で実際に起きた出来事。
長髪のA子が、ドアを背にして、腕組みしながら立っている。
A子の後ろ髪はドアに挟まっている。
少々滑稽な状況だ。
A子は少し動こうとして、自分の後ろ髪がドアに挟まっていることに気がついたようだ。
次の駅に着いてドアが開くまで、A子の髪の毛は挟まったままだ。
A子は身動きがとれない。
A子の右前方にはB子、左前方にはC子がいる。
3人は互いに向かい合って立っている。
どうやら3人は同じ会社の先輩・後輩(又は上司・部下)のようだ。
A子はピシッとした身なりで、プライドも高そう。
怖い雰囲気の「デキる人」って感じだ。
A子は、B子とC子に何やら説教している。
B子とC子は、A子の髪の毛が電車のドアに挟まっていることに気がついているようだ。
もちろん、A子に指摘できるような雰囲気ではない。
しかし、A子は「B子とC子が、A子の髪の毛が電車のドアに挟まっていることに気がついていること」に気がついている。
また、B子とC子は「A子が『B子とC子が、A子の髪の毛が電車のドアに挟まっていることに気がついていること』に気がついていること」に気がついている。
さらに、A子は【B子とC子が「A子が『B子とC子が、A子の髪の毛が電車のドアに挟まっていることに気がついていること』に気がついていること」に気がついていること】に気がついている・・・・・・以下略。
この3人にとって、「A子の髪の毛が電車のドアに挟まっている」という情報は、哲学用語でいうところの「共有知識」と呼ばれる。
ここで私が「あなた、髪の毛がドアに挟まってますよ」とA子に声を掛けたとしよう。
このとき、この3人に何が起きるだろうか?
3人にとって「A子の髪の毛が電車のドアに挟まっている」こと(そのことを……【「『全員が知っていること』を全員が知っていること」を全員が知っていること】……以下略)は既知の情報だ。
しかし、私の指摘により、この3人には気まずい空気が漂うはずだ。
A子は、以前に誇ったであろう威厳を保てなくなるかもしれない。
さて、それはなぜだろうか?