日弁連の評判が悪い。
①「人権でメシを食うヤクザ」
②「頭のおかしな極左集団」
こんなイメージを持たれている。
①「人権でメシを食うヤクザ」については、誤解だと思う。
なぜなら、いわゆる人権系の仕事(プロボノ活動)というのは、全然お金にならないから。
もちろん、プロボノ活動で築いた人脈から、実入りの良い仕事が転がり込んでくることだってあるだろう。
しかし、それはあくまで結果論にすぎない。
稼ぎたいなら、そんな回りくどいことせず、フツウの仕事を数こなしたり、得意先・顧問先に営業でもかけた方が、はるかに効率的だ。
プロボノ活動に携わる先生方の多くは、滅私奉公の精神で頑張っておられる。
(ただ、そうした弁護士の中には、「フツウ」の事件・依頼者を、「崇高な人権活動」のための資金源・金ヅルと考え、法外な費用を徴収する不届者もいる。プロボノ系弁護士がみんな善良というわけではないのだ。もちろん、そんなロクでもない輩はごく一握りだと思うけども。)
②「頭のおかしな極左集団」については、残念ながら、多少当たっているかもしれない。
(「頭のおかしな」という点については、断固として否定しておくよ!「一般国民の感覚から遊離した」くらいにしとこう。万が一、我輩が誰か特定されたら怖いし笑)
個々の弁護士についていえば、政治思想に偏りのある人というのは決して多くない。
何なら大半はノンポリだ(日弁連や単位会主催の総会の出席率の低さが物語っている)。
総会に出席して議決権を行使するのは、活動に熱心なごく一部の人か、協力を依頼されて「お義理」で参加する人くらいなのだ。
で、我輩みたいな「不熱心」な人間としては、日弁連や単位会の決定やら声明やらに対して、強い違和感を覚えることもある。
たとえば、学術会議問題に対する会長声明(今さら誰も興味ないと思うけど)
https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/2020/201022.html
我輩なんかよりよっぽど頭のキレる人達が、時間をかけて文案作成しているはずだから、相当練られた内容のはずだ。
ただ、「不熱心」な法律家として、単純に疑問に思うのは、なぜ端的に裁量統制の話をしないのかということだ。
法律論の切り口で捉えるならば、学術会議問題の肝は、①会員の任命に関して内閣総理大臣に裁量があるのか、②あるとした場合、本件の任命拒否は裁量の逸脱・濫用にあたらないか、これに尽きる。それ以上でも、それ以下でもない。
この声明を読んでいると、焦点をわざとぼかされたような、目眩しの煙幕でも食らったような気分になる(そんな風に思うのは、我輩の勉強不足のせいかもしれないけども)。
他方、二弁の声明は、裁量統制「っぽい」話も展開している。
https://niben.jp/news/opinion/2020/202010292758.html
学問の意義や従来の政府解釈にフォーカスして、裁量を否定している「っぽい」。
しかしながら、学術会議の持つ政治的性格(学術会議法前文、2条参照)については、検討の跡がない。
この点に対する十分な検討・考察がないまま、裁量を否定するというのは、ちょっと無理があるのではないか。
また、「仮に裁量があるとしても…」として、本件の任命拒否に関する問題点を指摘して良さそうなところだ(拒否した理由について他事考慮や考慮不尽がないか、手続面での不備はないか等)。
しかし、あえてなのか、この点の指摘はない。
一般国民の関心も強い部分だと思うのだが。
結局「面倒な問題には触れず、任命拒否をディスりたい」っていう結論ありきの意見表明なんじゃないの?
と思ってしまう。
(続く)