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「暗記」の必要性に異議あり!(後編)

音楽の話。

暗譜のメリット・デメリットについては、私より遥かに詳しい方が様々に論じている。

ここでは、そうした事柄を網羅的に記載することはせず、私の考えに絞って書いてみます。

楽譜を見ながら演奏するという行為は、一言で言うならば、「大は小を兼ねる」と総括できるのではないか。

演奏家の五体、耳、脳に加えて、楽譜という補助ツールが存在することは、役立ちこそすれ、邪魔になることはない。

であれば、暗譜する・しないに関係なく、楽譜を目の前に置くことは、合理的な対応といえる。

また、暗譜した方が、より音楽に没頭できるかというと、そんなこともない。

暗譜だと、次はこう、次はこうなどど、頭の中にある記憶の吐き出しに力を注いでしまい、現場で実際に鳴り響いている音に傾注しきれない面が否めない。

20世紀後半は、トスカニーニカラヤンの影響で、暗譜で振る指揮者が大勢いた。
小澤征爾やなんかもその一人だ。

しかし、トスカニーニの場合、強度の近視で譜面台上の楽譜が読めなかったため、仕方なく暗譜していたという事情があった。

また、カラヤンはというと、本当にきっちり暗譜していたのか、実のところ怪しいというオペラ歌手の証言もある(誰だったか忘れたが、「カラヤンは拍子が分からなくなったり、キューのタイミングが分からない時は、手をフワフワさせていた」などと証言している)。

翻って、21世紀以降は、アンチ暗譜派の一流指揮者が増えつつあるようだ。

代表的なところでは、ムーティしかり、K.ペトレンコしかり。

彼らはモーツァルトなどのシンプルな作品でも、必ず楽譜を見ながら指揮しているし、リピートの箇所でも律儀に楽譜をめくり直している。

私のような怪しいただの一般庶民が言うのもなんだが、ムーティやペトレンコらのスタンスは、実感としてよく理解できる。

私は芝居の勉強もしているのだが、台本を見ずに暗記した台詞を喋るよりも、台本を見ながら喋った方が、良い演技ができるような気がするのだ(たとえ暗記している台詞でも)。

記憶を掘り起こすという脳の負荷をなくし、目に飛び込んできた文章から受けたインスピレーションを助けに、感情を乗せて演技することができるのだ。

プロの声優が必ず台本を手に収録に臨むのも、こうした側面も影響しているのではないかと思う。

伝説的な俳優であるマーロン・ブランドも、演技のリアリズムと自発性を生むためとして、キャリアの初期からカンペを見て演技していたそうだ。

そんなこんなで、トスカニーニの洗礼を受けた若き「暗記信者」だった私は、今では宗旨替えして立派な「アンチ暗記派」と相成りました…という壮大な独り言です。