背理法を理解できない人(あるいは、背理法が嫌い、背理法アンチ)が思いの外多いらしい。
私に言わせれば「理解できない」意味がさっぱり理解できない。
背理法の前提となる排中律等(命題は必ず真か偽であり、どちらでもあるとか、どちらでもないことはない等のルール)は、我々の日常的な世界認識・直観に何ら反しない(むしろ親和的だ)。
ネット上で背理法アンチの言い分をざっと見る限り、どうやら「ゲーデルによればうんたら」とか「直観主義論理のもとでは〜」とか「最近の理論物理では〜」とかそういう深い(怪しい?)主張をしているわけでもないようだ。
単に感覚的に納得できないという人が多いらしい。
ただし、極めてハイレベルな理解・考察のもと、アンチを標榜する人もいるそうだ。
理科大を退官された数学者の安部直人先生などは、熱烈な背理法アンチとして有名らしい。
法律実務においても、背理法「っぽい」主張立証をすることはザラだ。
しかし、安部先生の上記主張を検討してみても尚、少なくとも法律実務においては、主張立証の方法を改める必要はなさそうだ。
なぜなら、法律実務で使うのは、背理法「っぽい」だけのエセ背理法だから(そもそも安部先生が槍玉にあげる背理法とは異なる論法)。
また、背理法の論証過程に現れる「誤った主張は誰も(天才でさえ)理解納得はできません」という問題も、法律実務の場面で生じることはない(だってその「誤った主張」は対立当事者が「正しい」と理解納得して行っているんだから)。