法曹界には「乗り降り自由」という標語があります。
「いつでも自説を変えていい」
「今まで相手の意見に賛成(反対)していたとしても、いつでも反対(賛成)に回っていい」
「全く新しい意見を述べてもいい」
「意見の一貫性にこだわらなくていい」
というような意味合いです。
それほど一般的ではないかもしれませんけども。
裁判所の合議や法教育、一般的な議論の場面で言われることがあります。
この「乗り降り自由」を互いに共有しておくことは非常に重要です。
各人が自説に固持することを防ぐためです。
法曹なんてプライドの塊だったり、負けず嫌いだったり、偏屈な連中の集まりですから。
あらかじめ「乗り降り自由」と周知する必要があるのです。
意見の前提とすべき事実を、あますことなく全て把握して、正しく評価できる人間など、おそらくこの世に一人としておりません。
だからこそ、議論をする意味があるわけです。
そりゃ人間ですから、相手のことを「このアホが」とか「なに寝言を言っとるんだ」と思うことは、誰しもあるでしょう。
でも、その「アホ」に見える原因というのは、ちょっとした事実認識の食い違いや、紙一重の評価の相違によるものかもしれません。
(本当に相手か自分のどっちかが単なるアホだからってこともありますけども)
「自分が述べる意見は常に正しくあらねばならない」、「間違ってはいけない」、「自分と異なる意見はアホだ」と思い込んでしまうと、いざというとき軌道修正ができません。
私もついやっちゃいます。
ただ、やっぱり「自分が間違っているかもしれないけど」、「自分の認識不足かもしれないけど」、というのは、言葉に出さないまでも、頭の中だけでも良いので、冒頭に断ってから、物を言った方が良いのです。
その方が議論も円滑に進むような気がします。
「乗り降り自由」の標語を共有できていて、かつ、一定の知性を備えた人同士においては!








