本日3月21日は、作曲家モデスト・ムソルグスキー(1839年3月21日 - 1881年3月28日)の誕生日。
ムソルグスキーの家系は、代々軍の要職を得た由緒ある家柄であり、実家は裕福な地主であった。
ところが、1861年の農奴解放により、実家の私有地が収奪されてしまい、没落貴族となる。
下級官吏として生計を立てる傍ら、作曲活動を続けた。
しかし、1865年、最愛の母が他界したことをきっかけにアルコール依存に苦しむようになり、晩年には失業。
残した作品も、生前まともに評価されることはなかった(「素人」、「荒削り」、「粗野」などと考えられていた)。
失意のうちに42歳の若さで亡くなっている。生涯独身だった。
代表作は歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」、管弦楽曲「禿山の一夜」、ピアノ組曲「展覧会の絵」など。
ムソルグスキーの凄さ・真髄というのは、正直なところ、私にはよく分かっていない。
どうやら「分かる」人には「分かる」らしい。
絵でいうところのゴッホみたいな。
上手いとか、洗練されているとかではなくて、「とにかく凄い」、「異常な天才」らしい。
ムソルグスキーの受容史を見ていくなかで大変興味深いのは、彼と正反対のタイプの天才達の活躍である。
その一人がリムスキー=コルサコフ(1844年3月18日(ユリウス暦3月6日) - 1908年6月21日(ユリウス暦6月8日))。
ムソルグスキーの盟友にして、色彩感溢れる管弦楽法の大家であり、端正で明晰な作品を残した。
ムソルグスキーが無手勝流の荒々しいディオニュソス型だとすると、リムスキー=コルサコフは知的で洗練されたアポロン型だ。
リムスキー=コルサコフは、ムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」や「禿山の一夜」等の諸作品を、分かりやすく編曲し直し、その普及に貢献した。
また、モーリス・ラヴェル(1875年3月7日 - 1937年12月28日)の貢献も非常に重要。
彼もリムスキー=コルサコフと同じく(というかそれ以上に)知的で洗練されたアポロン型だ。
ムソルグスキーが残したピアノ組曲「展覧会の絵」は、リムスキー=コルサコフによる「良識的」な改訂と、ラヴェルによる魔法の如きオーケストラ編曲を経て、超人気作へと生まれ変わった。
ディオニュソス型であるムソルグスキーの受容史において、アポロン型のリムスキー=コルサコフとラヴェルが果たした功績は多大だ。
彼らの関係は、ビートルズに対するジョージ・マーティン、ラマヌジャンに対するハーディ、鳥山明に対する鳥嶋和彦を思い起こさせる。
ただ、最近では、ムソルグスキー本来の持ち味を評価すべきとする向きもある。
リムスキー=コルサコフやラヴェルらによる「手直し」が、ムソルグスキー本来の独創性・野生味を損なっているということらしい。
原典版を積極的に取り上げる演奏家としては、指揮者のアバド、ピアニストのリヒテルなどがパイオニア・筆頭格として活躍した。
しかしながら、私個人としては、こうした受容史を情報としては知っていて尚、「手直し」版に心惹かれてしまう。
私はムソルグスキーの真価を全く理解できていないらしい。
・「禿山の一夜」(リムスキー=コルサコフ編曲版)
・「禿山の一夜」(原典版)