弁護士法人フィクショナル・公式ブログ(架空)

架空の国の架空の弁護士によるブログ

早くしろぉ!!

離婚事件の関係で、LINEやメールの送受信履歴を読み込んでいる。

 

不貞行為の動かぬ証拠を掴みたいのだ。

 

読み込んでいくと、遠回しな口説き文句と思わせぶりな返答が続いていき、そのうち毎日のようにしょうもないキャッキャウフフなやりとりが、超長文にわたって延々と続いていく……。

 

他人の情事を、微に入り細を穿つように見入るというのは、実に楽しいことかもしれない。

 

弁護士の「役得」とお思いになる方もいらっしゃるかもしれない。

 

しかし、仕事として読んでいると、楽しいのは始めのごく短時間だけだ。

 

とにかく早く不貞の決定的証拠となる文言を見つけたくなってくる。

 

すぐにイライラしてきて

「あぁぁ"!!さっさとやっちまえよ!このヘタレち◯ぽが!!」

などと考えてしまうのだ。

 

早く帰りたいよ。

ちゅーねん⭐︎らいふ

最近、側頭部の白髪の増え方が半端ねぇ。

 

歯を食いしばる癖があると、こめかみ付近の血流が悪くなり、側頭部の髪の栄養不足で白髪が増えるらしい。

ほんまかいな!

 

それと関連して、舌の位置が口内の上にくるよう、ふとしたときに注意するようにしている。

舌が正しい位置にあれば、歯を食いしばることもなくなるし。

唾液を多く分泌させて、口くさくなるのを防がんといかんし。

 

あと、ここ一週間ほど頻繁にマックを食べたせいか、今日は抜け毛が多い!

 

早く家帰って、風呂入って、ウ◯コして寝よう。

もうせんと猛省!

恥ずかしい……とにかく恥ずかしい。

ひたすら反省ですわ、反省……。

労災訴訟の会社側で、裁判官から見落としを指摘されてしまった……!!

金額としては数千円レベルの話だし、リカバーできたので、依頼者さんに実害は生じていないのだが。

それでも私が見落としたのは間違いない。

いやはや恥ずかし過ぎる。

交通事故とかもそうだけど、損益相殺が少しでも関係しそうな書類は、目を皿にして確認しなくては!!

見落としなど起こらないよう……。

もうせんと猛省!

我慢したくない!

俺はいっぱい食べたいんだ!

 

だからジムに行くんだ!

 

ウォーキングと筋トレを頑張るんだ!

 

いっぱい食べながら、健康でいたいんだ!

 

早起きできないから、今の仕事しかできないんだ!

会社勤めは無理なんだ!

 

あと老後が不安だから、面倒くさいけど資産運用もするんだ!

 

ヴィヴァ!煩悩!

世界一嫌いな料理

私が世界一嫌いな料理はちらし寿司です。

海鮮ちらしのことではありません。むしろこちらは大好きです。

厳密に言えば、私が大嫌いなちらし寿司とは、五目寿司のことです。

魚介類の入っていない、野菜を混ぜ込んだ酢飯です。

味が嫌いなのではありません。

あまりにもイメージが悪いのです。

子どもの頃、私の母は度々「うちは貧乏」と嘆き、よその裕福な家庭への愚痴が止まりませんでした。

父が単身赴任するかもしれないという話が出たときには、ただでさえ手狭な社宅を追い出され、母子で厳しい生活を強いられるかもしれない、などと話したこともありました。

当時、私は小学校低学年か中学年くらいだったと思います。

とても怯え、暗澹たる気持ちになったことをよく覚えています。

そんな子ども時代、我が家で出されるちらし寿司が五目寿司でした。

市販のちらし寿司の素で和えたご飯に、刻み海苔をまぶしたものだったかと思います。

大変戸惑ったものです。

私にとって「寿司」といえば海鮮と酢飯です。

テレビで観る「ちらし寿司」は、色鮮やかな刺身やいくらを酢飯にちらした、見た目も美しい御馳走でした。

ところが、我が家で出される「ちらし寿司」にそんな贅沢な具材は入っていません。

具材は干ぴょう、しいたけ、たけのこ、にんじん、れんこんだったと思います。

見た目も地味です。

具材のチョイスも子どもには渋すぎます。

何より「ちらし寿司」というネーミングが許せませんでした。

あの色鮮やかな御馳走を期待するではありませんか。

当時の私は五目寿司という料理の存在を知りませんでした。

また、日頃、母は我が家の貧乏ぶりを嘆いていました。

ですから、私は、我が家で出される「ちらし寿司」とは、我が家秘蔵の「貧乏メシ」なのだと思い込んでいました。

友達にも話してはならない恥ずかしい料理なのだと本気で信じていました。

「ちらし寿司」が食卓にあがる度、惨めでひもじい気持ちになったのをよく覚えています。

私がもっと無邪気な子どもだったら「こんなの寿司じゃないよ〜、お刺身が入ってないじゃん!」などと言うこともできたのでしょう。

そうすれば「これは五目寿司という料理でうんぬんかんぬん」などと説明を受けて、少しは納得することもできたかもしれません。

しかし、私は、母が疲弊しきっており、自身の不遇を嘆いていることを、子どもながらによく理解していました。そして、母のことを愛していました。

母を悲しませたくない、家庭の平和な空気を壊したくないという思いから、「こんなの寿司じゃないよ〜」とは、とても言う気が起きませんでした。

惨めな思いをグッと飲み込んで、平静を装って「ちらし寿司」をかき込んだものです。

・・・その頃から何年も経ち、私の実家は比較的裕福になりました。

母も今では大変明るく元気です。

歳こそとりましたが、今の方がよっぽど活き活きしています。

家族が遊びにくれば、腕によりをかけて御馳走を振舞ってくれますし、ちょっとお高い寿司の出前をとるのもお手のものです。

人生何が起こるか分からないものです。

私は私で、最近、義甥(妻方の甥子くん)の入学お祝いの宴席に参加しました。

地元で長年愛されている老舗料理店です。

甥子くんは無邪気に蟹の握り寿司を追加注文していました。結構良い値段だったと思います。

「命より大事」という小学校の卒業アルバムも見せてくれました。どの写真も素敵な笑顔です。

時代と世代の移り変わりを感じ入りながら、海鮮ちらしをいただきました。

お刺身やいくらだけでなく、蟹身や錦糸卵がふんだんに散りばめられています。大変美味しかったです。

今後、私が五目寿司を好きになれる日が来るかは分かりません。

そのような日が来るとすれば、それは私の中で何かが変わったときなのかもしれません。

超一流オケの御乱心?

フィンランドの若手天才指揮者クラウス・マケラの出世ぶりが凄まじい。

1996年1月生まれで現在28歳。

3年後の2027年から、ロイヤルコンセルトヘボウの首席指揮者兼シカゴ交響楽団音楽監督に就任することになった。

就任時にはまだ31歳だ。

クラシックに興味のない方には、これがどれほど凄まじいことなのか、多分ピンとこないと思う。

非常に平たく言うと、大谷翔平とか藤井聡太のイメージだ。

いや、それ以上かもしれない。

上記2つの楽団は、世界でも三本の指に入るスーパーオーケストラだ(もう一つはベルリンフィル)。

その2つの楽団のシェフを、30そこらの青二才が兼任するというのだ。

正気の沙汰ではない。

伝統的には、指揮者というのは、40代くらいまでは歌劇場で下積みを経て、徐々にコンサートも振るようになる、といったスタンスが主流だったようだ。

伝説的な指揮者カルロス・クライバーも、若手指揮者達に向けて、そうしたキャリアの積み方を推奨していた。

指揮者というのは、才能だけで務まるものではなく、経験が大きくものを言う仕事だ。

コンセルトヘボウもシカゴも「血迷ったのか?」としか思えない。

マケラが天才なのは間違いないのだろう。

しかし、圧倒的に経験が足りていない。

最近も、ラフマニノフのコンチェルトで共演したプレトニョフから「君は音楽を分かっていない!」などと批判されたというのを、何かで読んだ覚えがある(一次ソースが出てこない……)。

若いうちは失敗してもキズにならない経験の場をもっと持つべきだろう。

また、彼が才能を浪費してしまわないか心配だ。

極めて多忙な公演スケジュールの合間を縫って、作品研究を深める時間を確保できるのだろうか?

心身ともに疲弊しきってしまうのではないか?

病弱だったマリス・ヤンソンスが、コンセルトヘボウとバイエルン放送響を兼任してしまい、晩年に凡演を乱発していたことは記憶に新しい(これには多々異論もあるかもしれないけど。私は、ヤンソンスは才能を浪費して早死にしてしまったと確信している。)。

新陳代謝の進まない日本の芸能界も考えものだけど、若手スターを客寄せパンダとして浪費するかのようなコンセルトヘボウとシカゴの経営判断には、素人目にも「本当に大丈夫?」と心配になってしまう。

岡口基一さんの罷免を受けて

岡口さんの書籍には、日頃大変お世話になっております。

伊藤塾の専任講師に就任されるとのこと、今後のご活躍を祈念いたしております。

この度の罷免の判断、岡口さんへの不利益が大き過ぎる、余りにも厳し過ぎるとして、法曹界(私の身の回り)では批判の声が多々挙がっております。

他方で、一連の岡口さんの言動により、ご遺族の方々が多大な苦痛を被られたこともたしかです。

法曹は知力ではなく共感力が求められるのかなと、つくづく思います。

法曹の頭脳労働の程度など、たかが知れています。

依頼者を含めた関係当事者への共感力こそ、日々の業務で重要な意味を持つことが多いと感じます。

それは弁護士業のような営利性が絡む業界だけでなく、検察官や裁判官も同様でしょう。

空気の読めない検察官は、人の言動の意味を推測できず、説得的な事件のストーリー構築ができないでしょう。

また、被害者や遺族の神経を逆撫でしてしまい、事件処理に支障をきたすこともあるでしょう。

空気の読めない裁判官も、人の言動の意味を推測できなければ、説得的な判決は書けないでしょう。

また、当事者の心情に配慮したり、建前に隠された本音を探れなければ、和解での事件解決も困難になるでしょう。和解ができなければ、判決書を起案しなければならず、業務負担は多大なものとなります。

私も共感力を磨きつつ、日々の業務に励む所存です。